サントリー美術館 生誕250周年谷文晁 第8展示期間

美術

行って参りました。

展示期間は細かく分かれていますが、実質前期と後期で、そこで大半の展示が入れ替わる構成。

「青緑山水図 谷文晁筆 一幅 文政 5 年(1822) 東京富士美術館」は浙派、呉派といった南画系統の描き方に南蘋派の画風が混じっているらしく、一枚の絵の中にも画風が混在しています。

「米法山水図 谷文晁画/市川寛齋賛 一幅 個人蔵」はなかなかの迫力。

「ヒポクラテス像 石川大浪筆 一幅 神戸市立博物館」は西洋画の技法を石川大浪という人に習い、もらったものだそうで、まさに普通の西洋画。最近は秋田蘭画が注目されていますが、江戸時代にはそういう専門の人が、専門の人でいたんですね。

「文晁夫妻影像  谷文晁筆 二幅 天保 5 年(1834) 個人蔵」は影絵ですけど、国内の影絵としてはかなり古いものではないですかね?ついている賛が文晁のものは漢文で、横の妻のものは和歌というのもいい感じです。

「文晁自像自賛図 谷文晁筆 一幅 個人蔵」によると「化けものはいや」とのこと。

「寿老 文晁画稿 谷文晁写(原本は雪舟筆) 一幅 安永 7 年(1778) 東京藝術大学」はこの前の日本の中国画の展覧会で取り上げられた、木挽町に大量に集積されたお手本の中から、雪舟のものを写したと思われるものだそうです。(オリジナルは存在しないらしい)

「狩野派の粉本主義」という解説をされていますが、模写は絶対に必要で、伝統的な美意識の継承も、どこを変えるにしても、必要といえるものです。粉本主義ということばにはそういったことを無視したマイナスの語感を感じますし、実際そういう扱いだったと思うのですが、どうでしょうか。

「松下観瀑図 谷文晁筆 一幅 個人蔵」は、逸脱に至らない範囲でかなり激しい表現。

「浅絳山水図」というものがあって、浅絳とは何かなと調べると、水墨画に淡い彩色を施した南宋画の一種のようです。

「石山寺縁起絵巻 巻六・七 谷文晁筆 七巻のうち二巻 文化 2 年(1805) 石山寺」は古の絵巻物を文晁が補って続きを書いたもの。

並んで観ていくと巻物のある場所で前の若い女性が全く進まなくなって、何分もいるような状況に。みんな避けて先に行くのですが、私はじっと待つこと数分。やっと動いてどこかに行ったのでやれやれと思ったのですが、その正面にあった、火災の表現が圧倒的。渦が逆巻いていて、猛烈な風圧を感じさせます。関東大震災の時に大規模なものが発生したという火災旋風を思わせます。

これはすごいものです。女性は絵を描く人で参考になるとか思ったのでしょうかね?

補った部分以外に、元の作品のコピーも作っているのですが、コピーの部分では、字体までかなり正確に写しているので、すごいです。解説のお姉さまもこれは尋常ではないと思ったようで、学芸員の人に聞いたら、文晁の絵画的な観察眼がなせる技だろう、といった答えが返ってきたとのこと。今回は同じ解説を聞いた二回目でしたが、そのようなことが付け加えられていました。

「花鳥人物画帖 谷文晁ほか筆 一帖 文晁画:文化 8 年(1811) 個人蔵」は今回は場面が変わっていて、亀田鵬斎(変換できない・・・)の山水画があって、ぎこちなくも貴重。蜀山人は書ですが、この人はやはりこちらが本職です。

その並びに狩野探船章信という人の絵も添えられていて、上手いけど無名だな、と思って帰ってきて調べてみたら、どうも40そこそこで死んでしまって、名前が残らなかったのですかね。

妻の作品の「山水図 谷幹々筆 一幅 栃木県立博物館」はらしい柔らかい描写であるとの解説が。非常に小さいものですが。奥さんはいとこ同士なのだそうです。

「風竹図屏風 谷文晁筆 八曲一隻 文化 10 年(1813) 栃木県立博物館」は月がないだけでこの前の江戸東京博物館の「秋夜名月図」にそっくり。広重が描いた八百善の部屋に掛っている文晁の絵もこの系統で、得意画題だったのでしょう。実際に風流で、素晴らしいものだと思います。

「赤壁図屏風 谷文晁筆 六曲一双 根津美術館」も良くも悪くも破綻がありませんが、岸壁の迫力が相当な、豪壮な屏風絵。

通期展示の「写山翁之記 野村文紹筆 一冊 西尾市岩瀬文庫」はよく見ると女性が結構いるのですが、親族や弟子の奥さんなのか、弟子なのか、観ただけでは俄かにわかりませんね。

「山市晴嵐図 写山楼画本 原本は玉澗筆 一枚 個人蔵」は出光美術館の名品を模したもの。いろいろ解説を聞いていると、あの原本は歴史的に相当大切にされてきたもののようですね。いい絵ですけど、ややかすれた立体感が薄くはなっているか。

「老子図 写山楼画本 原本は牧谿筆 一幅 個人蔵」では牧谿は風景画だけではなく、肖像画も非常に大切にされていることを思い出させられました。

胡散臭い表情をしているタイプの肖像画で、これは誰が始めたんですかね?(最初から?)うさんくささが超俗的なところを伝えているのか。

人を描くと描く側が画中の人物を、観る人に対して構えさせてしまうようなことがあると思うのですが、そういうのがない自然体が深い思想的境地を伝えているのかもしれません。脱力しきっているのは伝わってきます。

「十大弟子像 谷文晁筆 十幅のうち四幅 濟松寺」も牧谿の写しですが、作品リストにそのように明記されていないので、文晁による変更が目立つものなのかもしれません。しっかり描かれていてかつ、縹渺とした雰囲気が出ています。

後期も素晴らしい作品がこれでもかと出てきて、眼福でした。ありがとうございました。

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