9月14日のニュースキャスターでは超高齢化社会を取り上げていましたが、どこか他人事。かつてこういった時のために使うお金があったが、使われてしまったのです。それを振り返らずに災害であるかのように報道するのは、極めておかしいです。また今までの少子化対策の不備などを取り上げるべきなのです。
たけしは新大久保清と称してベレー帽を被って大久保清の真似をしていましたけど、大勢の亡くなった被害者がいる事件の加害者ををこのようにパロディにするのはお笑いとして超えてはいけない一線を越えていると思います。
「世界文化遺産:「明治日本の産業革命遺産」を推薦へ」(http://mainichi.jp/feature/news/20130914k0000e040171000c.html)ですが、人々の犠牲の上に無理をした遺産であって、その部分を観ずに輝かしさを強調することは間違っています。明治のものは欧米の真似であって、世界の人びとに観てもらう内容を持つことができません。
松下村塾も吉田松陰の思想を点検して、どうも非合理な思い込みが多いように思います。
江戸期の藩校・私塾に良いものがあるので、そちらが良いでしょう。閑谷学校・岡山藩藩学とか懐徳堂ですとか、どうしても明治にひっかけたければ、適塾や咸宜園のほうが良いと思います。
江戸の思想といえば、堀越二郎がアンビバレンツな注文を克服できたのは老子を参考にしたから、といわれているので、「風立ちぬ」で老子ブームが到来するのか、と思っていたのですけど、そういう要素はどうも入っていないみたいですね?
湯川秀樹が漢籍の効用を強調したのは有名ですけど、理系などの思考の跳躍台として漢籍は本当に有効なので、そういった情報を排除しないで、しっかり描いてほしいものです。
「9.14さようなら原発大集会」は9000人が集まったそうですが、ほとんど報道されず。
中国で何百人が反日デモをやるとおおげさに取り上げるのに、この差は一体何なのか。判断基準の根拠を横並びの大手メディアは開示するべきです。
9月16日の「ワイドスクランブル!」では汚染水についてやっていて、中継していたのですが、ゲストの女性が、わかっていて隠蔽していたんじゃないですか、という話をすると、突然寺崎アナウンサーが不自然に割って入ります。
まさに隠蔽の極みです。
IOCでの安倍の演説の嘘はいろいろ言われていますけど「日本の食品や水の安全基準は世界でも最も厳し」いというくだりは気になりました。日本の基準はベラルーシのものより何倍も甘いです。
事故から時間がたったからベラルーシの基準は厳しい、という文章も見かけますが、逆に言えばその基準に追いつけないのであれば、いまだに日本の状態は非常時にあるといえるでしょう。演説内容と矛盾します。
食品ならベラルーシ基準、避難ならチェルノブイリ基準。これが国際的に恥ずかしくない最低限の基準ではないか。
「韓国軍、泳いで北朝鮮側に渡ろうとした男性を射殺」(http://news.tbs.co.jp/newseye/tbs_newseye2014452.html)はどういう意図だったのだろうという謎が残りますが、江戸時代の日本の渡航禁止も似たような感覚だったのかなぁ、などと思いました。
9月17日のモーニングバードでは汚染水問題を取り上げていて、小松アナウンサーが、早く仕上げるために溶接しないでボルトにした、といっていましたけど、他の所がけちっていて、ここだけスピードを重視したというのは考えられません。世の中の溶接をする作業所が注文でパンクしたというような話も聞きません。最初から手抜きを目指したのではないでしょうか。
また、日本の原発技術は各国が信頼性が高いと認めている、といっていましたけど、そのような事実はありません。そのようなものがあるとしたら大手メディアがそのように宣伝してきた、ということではないでしょうか。
東方輝針城はlunaをやっている人の動画を観たんですけど、今回は頭がほぐされそうな弾幕が多い印象ですね。
9月17日のとべさるでは吉田照美さんが原発の裁判について司法を批判。また司法を非難しない大手メディアを批判。法の下の平等が確保されていない国であるとのこと。
あらゆるメディアの中で、しっかりここまで言うのは皆無でしょう。
コメント