「ワシントンで車暴走…警官発砲、運転の女死亡」は何か、麻酔銃で眠らせるとか、できないんですかね。あまりにも簡単に撃ってしまいすぎる。アメリカ政府自身が暴力的なので、暴力に過敏におびえて暴力をふるってしまっているのではないでしょうか。
未来世紀ジパングの「緊迫中国シリーズ第1弾 なぜ反日デモは起きなかった?日本企業、反転攻勢へ」の本放送では、時々感情が高ぶってきているスタジオゲストの周来友さんの姿が印象的。震災があって、デモがあって、日本にいらっしゃる中国人の方は本当に大変だったと思います。
嗚呼、日本人も友好の井戸を掘った人を忘れない!
最後は、反日デモの芽はまだあると、引き締めておしまい。これは当然で注意しなければなりません。日本としては、国際社会から見て、中国に理があるんじゃないかな、と思われるような形で、中国政府にデモを発動させないことが重要です。
その点、石原・前原・野田の反日三兄弟は、実に失格であったというべきでしょう。
「モーツァルト」(河出書房新社 編)は冒頭のモーツァルトが答える形式のインタヴューを読んで、まさかまずい系統の本を手に取ってしまったか、と思ったのですが、仮想インタヴューということで一安心。
池辺晋一朗さんと池内紀さんの対談は練達の安定度。
モーツァルトの自然性から入って、インパクトのある、訴えかける旋律は大体モーツァルトではない、といった所から、個性が浮かび上がってきます。
池辺先生がひたすら音楽の話をするので、池内さんがモーツァルトの手紙の話をしようとしますが、音符以外に興味がない、とばっさり。
仕方がなく池内さんは対談の流れとはほぼ関係がないところで、ひたすら手紙の内容の分析をしますが、池辺先生は再び音符の話を。
お二人ともその得意分野においては極めて知識が豊富で、人間得意分野ってあるものだなぁ、と関心。
片山杜秀さんのインタヴューは、モーツァルトより山田耕筰のほうが良い、という発言で知られる片山さんなので、どのような内容になるのか、と思っていたのですが、意外とヴォリュームがある内容。冬木透を入り口として語るのがらしいです。
ハイドシェックの演奏に感動したことが書かれていますが、片山さんがハイドシェックを聴いたことがあるというのは初耳ですね。一部の評論家が推薦する特殊な演奏家という位置づけで、そのファンの間でも、賛否が分かれている人ですからね。やや雑然としたところもありますけど、私は彼のモーツァルト演奏は結構優れていると思います。
芥川也寸志指揮の交響曲第40番を聴いて「大きな宇宙を感じた」とか「蓮華が開く感じ」とか「神秘体験」のようなものをした、と書かれていますけど、音楽評論家でこういうことを語っている人は結構多いですよね。許光俊も同じようなことを書いていました。
後半の日本の戦前の思想史の中で捉える部分は、さすがの量と細かさ。
最後の、モーツァルトの短調を讃える風潮は、大衆的、メロドラマ的、と切って捨てるところが、片山さんらしからぬ?攻撃的な文章でやや驚きましたが(かつて武満を貶していた時もこんな感じだったのですかね。そういえば武満とキャバレーソングを並べて批評していましたから、もしかしたらあるものを貶す時に、大衆的、メロドラマ的、といった感じで切り捨てるのは片山さんの一つのパターンなのかもしれません)今考えてみると、それはむしろ、明るいものより暗いもののほうが芸術的な価値があるかのように考える、近代の芸術の主流の思潮が大本ではないですかね。
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