戸栗美術館 館蔵 青磁名品展―翠・碧・青―

#その他芸術、アート

行って参りました。

一階の展示は中川洋さんという現代作家の方の鍋島。

透明感があって輝かしい出来で、こういう感じは、日本の現代美術全体にある傾向ですよね。

今回の特集は「雨過天晴 千峰翆玉」とその色が表現される青磁の展示。

戸栗美術館で中国の青磁が展示されるのは5年ぶりなのだそうです。

中国で青磁の技術が後漢の250年ごろに確立したのに対して、朝鮮で青磁が作られるようになったのは10世紀ごろ。日本は17世紀ごろ、でかなりタイムラグがあります。

他の分野ではたとえば、元代の文人画が江戸時代にはやるとか、宋の時代の朱子学が江戸時代に官学(という実態にも最近は官学であったという歴史が作られた、と言われていますが)になるとか、せいぜい数百年ぐらいの流行の時間差があるのですが、この磁器の伝播は際立って遅いです。それはやはり工業的な秘伝の技術だったからなのでしょう。

ただ、中国は開発こそ早いのですが、青銅器が重視されていて、焼き物の発達自体は遅かったのだそうです。そういわれれば、中国の青磁はいきなり唐・宋代に始まったかのような印象があります。

「青磁 蓮牡丹文 獅子紐水注 耀州窯 北宋~金時代」の説明によると、北宋から石炭で焼かれるようになって火力がアップしたことが関係しているとのこと。中国料理も石炭との縁は切っても切れないですし、中国文化は石炭の文化という気すらします。現代のPM2.5の話につながってきますが、意外と個人の住宅から出ている石炭由来の粒子が多い、という所が、生活の隅々に入り込んでいることを伝えます。

基本の講座のコーナーでは、青磁とは鉄分が入った灰釉をかけたものであるという説明。

他に蕎麦釉や銹釉が、鉄分の入った釉薬によるお皿として比較展示されていました。

鍋島の青磁の特徴は伊万里と比べて釉薬が厚いことらしく、陶片があって、ものすごく厚いのが確認できました。

最初の方においてあった「青磁 瓶 龍泉窯 元時代 14世紀」はまさに宝玉のような作品で、気泡が乱反射してキラキラしています。日本では砧青磁と呼ばれているもの。

鍋島が誕生したのは中国の政変がきっかけ。これまで献上していた器が買えなくなり、自前で作り始めたのが始まり。さらに吉宗の減少令で豪華な色絵から青磁に変わったのが、鍋島の青磁発展のきっかけであるとのこと。そのモデルは宋代の青磁の写しであるそうで、「原中国」としての宋代の影響力の強さがここでも窺われます。

「青磁 双耳瓶」はラッパ型に大きく広がる口が美しい限り。

「青磁 陽刻根菜文 皿」は釉薬で幽玄の表現を完遂した名品。

「青磁 皿」は、これだけ大きな皿を歪みなく均一に作るのは大変な技術であるとのこと。

「青磁 耳杯 晋時代」は秘色青磁と呼ばれる作品を唐代に作り上げた越州窯の作品。

「青磁 象形香炉」は明時代の龍泉窯の作品。龍泉窯の作品はエジプトまで伝播したとのこと。

「青磁鉄絵 菊唐草文 水注 高麗時代 12世紀」は朝鮮の南の珍山という所で焼かれたのだが、ここは朝鮮の焼き物の中でも変わり種らしく、むしろ中国の磁州などの影響が指摘されているとのこと。東アジアの海の文化圏を想像させるものです。

「粉青印花象嵌 菊花文 鉢」は朝鮮製の、三島手、暦手などと呼ばれているもの。朝鮮は途中で青磁の技術が途絶えてしまったのだそうです。

くすんだ色が特徴で、これは酸化焼成という焼き方を採用しているからとのこと。今回はありませんでしたけど、ベトナムの焼き物も同じ色の系統で、焼き方が類推できるのかなと思います。

「青磁瑠璃銹釉 獅子置物」は鍋島と思われていたが、実は平戸焼だったことが判明したという、初出展の置物。釉薬が薄かったり無釉の部分があり三色しか使われていないことが確定の決め手になったとのこと。

平戸焼らしい精巧な細かい細工が施された作品で、迫真の姿。相当な名品だと思います。

鍋島には基本的に変形皿はないのだが、早い段階にはあったということで「染付 松葉形皿」が展示。

「色絵 雪輸亀甲文 桃形皿」は桃尽くし。表裏に桃が描かれていて器形も桃です。これは現代でも欲しい人がたくさんいる意匠に違いありません。桃の節句を祝う気持ち、もしくは魔除けとしての桃に込められた願いを感じるべきなのでしょう。

青磁の美しさと、青磁に込められた東西の交流の歴史を感じ取ることが出来ました。ありがとうございました。

コメント

タイトルとURLをコピーしました