サタデースポーツでは聴覚障害の卓球選手である上田萌さんを特集。「京都美の音色」とか、職人の番組を観ていて思うのですけど、職人技にどれほど音が決定的な役割を果たしていることか。
先天的な聴覚障害を持たれているというころとですが、話されていました。おそらく、物凄い努力で、口の形から覚えて発声する方法を会得されたのでしょう。
どうしても反応が遅れたり、球種、回転を判断できない、ということで、ラリーになると不利なので、いかに短期決戦で勝つかということを追い求めてトレーニングされているとのこと。
鋭い目からは、発達した視覚の力が感じられます。
聴覚障碍者同士では圧倒的に強いのですが、健常者にはなかなか通用していないのが現状のような模様。
私が思ったことを書けば、この短期で決着させるやり方がどうかと思うんですよね。
もっとゆったり構えて、聴覚が使えない分、相手の筋肉の動きや、武術的に言えば、気の起こりを感じて動くように作ったほうが良いと思います。
その方が圧倒的に早いですし、目でとらえて動く動きというのは、どうしても表面的で硬くなりがちなんですよね。
余談ですけど「観世音菩薩」などというネーミングは、体験的にそういった視覚というものの「浅さ」を避けているのだと思います。
聴覚を視覚で補うのではなくて、より触覚や皮膚感覚で補うようにされた方が良いと思います。眼はむしろ、捨てるというと言い過ぎですけど、使わない方が良いと思います。
吉田照美さんと伊東四朗さんのラジオでは、普段政治の批判を全くしない報道部の鈴木敏夫デスクが、阪神大震災の被害が甚大になったのは自衛隊嫌いだった村山首相が自衛隊を呼ばなかったから、と解説。本人の主体性の無さはありますが、当時の対応のまずさは官僚任せだからだと本人は言っていました。自衛隊が嫌いだったから、というのはどのようなソースに基づいているのか。
この人が、原子力ムラだといっていた人は責任を取るべきだ、と推していた田中俊一もまさに原子力ムラそのものです。責任を取ったらどうなのか。
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