シリア邦人拘束、交渉は不調 「イスラム国」側が現れず

#その他文化活動

一昨日のタモリ倶楽部の仏教系ホビー特集は合掌で終了。番組明けのCMもたまたま合掌しているところから始まっていましたけど、CMの配置も番組に合わせて変えられているんですかね?

ニュースキャスターでは北野武氏が、アメリカには肌の違いがある、と言ったのですが、コメンテーターのピーターランダース氏が日本には男女がある、と反論。違う形態でアメリカにもある問題であって、釣りあうものではありません。

最近聞いた近い話では、アナ雪のヒットは海外では、男女差別が激しい日本では女性は職業を選べない。そういう人がアナ雪に希望を見出している、と分析されたりしているとのこと。

特に社会的ではない幼児にもうけており、その推論は成り立たないでしょう。差別意識丸出しだと思います。

私なりに考えれば、うっすら残っている原始神道の禊的な感覚がヒットの要因ではないですかね。これは余計なものを払ってありのままを追求する宗教(?)です。老荘・禅とそれに連なる思想が興隆してきた歴史が日本にはあります。美意識などもそれに準ずるものです。

ニュースキャスターでは今週も北野武氏が甲子園での肩の消耗について。メジャーでみな故障する原因になっていると。これは本当に致命的なことです。見てみぬふりは格好が悪いです。しつこいのはなおよしですね。

サンデーモーニングでは石毛宏典氏がゴルフのように若くしてすごい選手が出てこないのは若いころにしっかりフォームを教えられないからだ、と指摘。横で張本氏が指導者の問題がある、というと喜び投合。これが言いたかったんですね。

二人とも子供を教えていて、特に石毛氏は高校生を教えているみたいですけど、今は部分的にできるんですかね。

盛岡大付属は負けてしまいましたけど、どうも投手が肘が痛かったみたいです。これは直接的に高野連の責任といえます。

「風をよむ」は生命倫理。

人類を憂うコメントなどが多い中で金子勝さんは自分はちょっと違うと言い、使えるところはどんどん使ってしまって、しっかり決まりを作ればよい、とのこと。福島の甲状腺がんの遺伝子検査など遣うべきところで技術を使わないのが問題であるとのこと。

結局儲けが出る方向にしか向かないのが問題といえるでしょう。流石にこういった所までは法律で縛れない。これはやっぱり人の心の問題で、結局は広い意味での文化力の問題だといえます。それは生命倫理の核心でもあります。

寺師実郎三井物産戦略研究所会長は原子力の技術は残すべきだと原発の継続を主張。エネルギーに対する「哲学」が必要とのこと。
日本の核の技術は、F1の事故が示すようにアメリカから移管した技術で、高い安全基準で再稼働できないように大した技術ではありません。

そもそも原発をぼんぼん作らなければ本当に核の技術は絶えてしまうのだろうか。原子力の技術を残したとして何の目的で残すのだろうか。今後核の技術で必要とされているのはむしろ廃炉の技術ではないだろうか。

これを呪文のように大義名分(にもならない名分)にして、あとは古い体質を残して利益をむさぼる産業界のいいように誘導するだけの人物です。

広域処理や防潮堤でも見られた原発建設におけるずぶずぶの利権関係。多重下請けに一端が見られるアウトローな体質。モンスターシステム。挙げるときりがありませんが、どれだけ最低限に見積もっても、そういったものを批判しつくして改善してから出直すのが筋ではないだろうか。

「復興前線、やる気官僚 古巣や与党より現場に添う」(http://www.asahi.com/articles/DA3S11247479.html)とのことですが、私は広域処理でも防潮堤でも、論理は二の次で、出向官僚が現地で中央の意向を代弁・実行するために振る舞っているところを何度も目撃しました。

この記事でも最後に「特定事業の予算獲得」という言葉が出ていますが、アベノミクスの一時期だけ良ければいいというバラマキを強力に担っている点も見逃せません。

地方の自主を阻んでいる存在なのです。このようなことを書かずに、官僚におもねるような記事を書くことが果たして報道の仕事でしょうか?

「シリア邦人拘束、交渉は不調 「イスラム国」側が現れず」(http://www.asahi.com/articles/ASG8S1C7WG8RUHBI014.html)は、今回は善意のボランティアではないので理屈としてはイラクの時より非難が多くてしかるべきですが、どうもそのようではありません。同質性の中で、今の日本ではこういう人の方が歓迎されるのか、もしくは田母神絡みのような強面の面がそのような意見を抑制しているのでしょうか。

政権ではどうも身内扱いで、こういう人は市民からも非難されないのでしょうね。

ぱっとみた感じでは、山田町のNPOの人に似ていますよね。

宮根アナウンサーは「本当に交渉してくれているのか心配」といっていましたが、こういう人は前のようなときなら真っ先に「自己責任」を強調するのではないですかね。当時のコメンテーターはみんな罵詈雑言がすごかったです。宮根さんが例外だとは思いません。

当時なんか一般人が自己責任の横断幕を掲げて凄かったんですよ。

「アメリカ人記者を処刑した「イギリス人」とは何者か」(http://www.huffingtonpost.jp/2014/08/22/james-foley-british-killer_n_5698772.html)という痛ましいこともありました。

ロバート・キャンベルさんはスッキリで米英は日本と違って身代金を払わないので捕まえても無駄だというので拘束されなくなっている、とかつて仰っていましたけど、話が違います。

「海江田代表、苦い訪中 民主党政権の尖閣国有化が影響?」(http://www.asahi.com/articles/DA3S11247480.html)は国有化の前に「嘘をついて」という前置きが抜けています。

中国関連の本を読めは、中国人は個人の信義を大切にするということが必ず書かれています。そしてその中においてウソは特にタヴーです。

仮に引用すれば

「文字に書かれたことよりも、口で言ったことの方を信用する。つまり証拠の品よりも、その人間の心、誠実さ、信義にこそ意味があると考えているのである。
これは現代社会にも生きる一つの価値観で、口約束だからといって反故にしたりすると、たちまち人間としての信用を失う。」(これだけは知っておきたい故宮の秘宝 古屋 奎二 (著)104ページ)

よってここではニュースの核心が端折られていると断言できます。

メディアが書かないので、野田が嘘をついたということをほとんどの日本人は知らないのではないでしょうか。

「福島の痛み忘れたか 被災者、怒りと諦め 川内原発再稼働へ」(http://www.asahi.com/articles/DA3S11247565.html)は

「「上」や「周り」に合わせたがり、冷めやすく熱しやすい日本人の気質が出ているのは確かだ。「アベノミクス」に惑わされた人も多かった。そうした弱さは克服しなければならない。」

とのことですけど、「そして、メディアは日本を戦争に導いた」(半藤 一利 (著), 保阪 正康 (著))には「近代以降の歴史を見ると」(92ページ)という前置きで同じような趣旨のことがかれていますが、やはり近代になる前にはそのような気質は確認できないんですよね。

そしてこれらはすべて、政府とメディアが一体化した時に起きています。国民性ではなくそのあり方にこそ第一に注目すべきです。

ほんの一端中の一端とはいえこれ「首相動静(8月20日)」(http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20140820-00000027-jij-pol)ですからね。

熱しやすく冷めやすい、というのも、メディアが取り上げる取り上げないというのがそのまま出ており、熱しているか冷めているかという判断もそれに大きな影響を受けてなされているのではないでしょうか。

22日の大竹まことさんのラジオのゲストは会津電力の佐藤弥右衛門さん。

福島を再エネで復興することに情熱を傾けている方ですが、力強い感じの人ですね。

続いての金子勝さんのコーナーではそれを受けて「原発反対の金切声を挙げているだけじゃ限界がある」とのこと。

そのエネルギーを再エネに使う方が実が上がるのでしょうね。

25日の大竹まことさんのラジオは、幼保一元化。

阿川さんは、一向に進まないのは予算分配ありきだからではないか、さらには天下りがあるのではないかと批判。

この前、阿川さんの檀不蜜さんとの京都巡りを観ましたけど面白かったですよね。

25日の吉田照美さんのラジオはオバマのノーベル平和賞を取り消せとの話。

「カジノ、日本人はNGに=依存症懸念で働き掛け―厚労省」(http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20140819-00000007-jij-pol)とのことで着々と進んでいますが、これも政権の一瞬だけ良ければ政策の一環といえます。年寄りによる年寄りのための政権というのが安倍政権の一つの顔でしょう(福祉は貧弱ですが)。

他国に比べてギャンブル依存症が極端に多い日本がさらにカジノを開くのは、正気の沙汰ではないとまで言えます。まずはパチンコを廃止したところから考え始めるのが筋ではないか。

あと、思いついたんですけど、カジノの代わりにパチンコを禁止して、一部の特区でパチンコをできるようにしたらどうか。地域振興にしても、完全廃止までワンクッションを置くにも、良い案だと思うんですけどね。今の政権でこのような話をしてもどこまでも詮のないことですが。

「SPEEDI、予算大幅減へ 放射線量の予測に限界」(http://www.asahi.com/articles/ASG8S7D4FG8SULBJ005.html)は何をやるにもまずは責任を取ってからというのが当たり前のことで当然いうまでもありません。

道徳の教科があったらマイナス150点です(採点)

新聞社も官僚の言い分をそのまま流すだけで、実際のSPEEDIの正確さに触れないことは、この幼児にも満たない言い訳に加担していることになります。

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