当時の眼鏡は西洋や中国からの舶来品が主流。日本では眼鏡を上方の仏具師がちょぼちょぼ造り始めていたそうなのですが、ドラマでは江戸でも作ろうということで眼鏡屋が仏具師を口説きますが仏具以外を作ると恥になるからと拒絶。そういう資料があるのですかね?
それを口説く中で「仏具が人々の心を癒す」「このまま飾り物を作り続けますか」という言葉がありましたけど、仏教など文化が「癒し」であるというのは近年の考え方で、当時はそうは思われていませんでした。現代人が考えた脚本のように思います。
「癒し」というと耳触りがいいですけど、はっきり言って「気休め」という位置づけで、役に立たないといっているに等しい。そういう論者はそうならそうとはっきり言って、文化を支えている人たちと議論をするべきだと考えています。
まさに仏道という道であり現実で生きたものとして使われていた仏教を、主に戦後に、スローライフとくっつけてしまったり現実から遊離したものとして布教してきた仏教側も大いに悪いのですけどね。
司馬遼太郎さんだと「日本の禅は芸術である」(「司馬遼太郎の世界」文芸春秋 332ページ)という書き方になる。これは日常で全く役に立たないものだという意味です。
このようにふわっと包み込むように斬り捨てるのが司馬遼太郎さんの特徴。
官僚言葉でも良くある、本心を包み隠した慇懃無礼で、司馬遼太郎さんの文章は官僚の作文と大いに関連があると思います。
現に司馬遼太郎は官僚によく読まれているようで、文科省の推薦図書が司馬遼太郎ばかりで話題になったことがありました。こういう面に限らず、「日本中枢総司馬遼太郎化」と言いたくなるくらい司馬遼太郎的なものが入り込んでいると思います。
長くなるので繰り返しませんが、今まで私が指摘してきたことを、日本の中枢の傾向と照らし合わせて確認していただけると幸いです。
証拠改竄で捕まった前田恒彦検事は「僕は司馬遼太郎」とうそぶいたそうですが、これには非常に深い経緯があると考えています。
このような貶し方だと一見褒めているようにも取れるんですよね。だから雰囲気だけでよく読まない人の中には、司馬遼太郎を日本文化の守護神のように考えている人がいる。なので司馬遼太郎の批判者には日本文化嫌いの同じ穴の狢のような人がとても多いです。代表格は佐高信だと考えています。
そして一方ではこのような思想を根本に反映させた小説でもって、日本文化を根絶やしにしてしまう。しかし表面的には上のように思われているのでばれない。安心して受容されてしまう。こういう二重構造があったと考えています。
番組に戻って、剣術の試合は袋竹刀で防具無しでしたけど、こうやってみるとやはり剣道よりはスポーツチャンバラに近い雰囲気。
眼鏡屋に仏具屋につぼ振り師に剣術道場と再現民俗が多くて良かったですけど、剣術道場はいかにもスッキリしすぎでもっと腰を入れて再現してほしかったですし、賭場はガラが悪すぎです。本当にあそこまでひどい愚連隊しかいなかったんですかね?「木枯し紋次郎」とか伝統的な時代劇の取り上げられ方とはだいぶ違いますよね。
眼鏡の鼻当は日本人が開発したらしいというのが豆知識でした。
コメント