「(文芸時評)近代人の理想」(http://www.asahi.com/articles/ASG8T5GRFG8TULZU008.html)では
「自分で考えず、勢いに流される人間が増えると、ファシズムになりかねない。だから、人間はひたすら孤独に考えねばならない。孤独に耐えてこそ近代人。そんな近代人同士が討議を重ねる。社会を合理的に営み続ける。丸山の夢見た戦後民主主義の理想型である。」
と説明されていて、ここでは「ファシズム=前近代」ですけど、実はファシズムは近代のものなんですよね。
すべてを江戸時代に責任を押し付ける丸山眞男の史観は歴史学的に破綻しています。よってこの理論全体も破綻せざるを得ないのです。
というわけで丸山の理論を前提に、孤独と連帯の両極端な振り子の中で論考は進められ、
「手をつなぐ。勇気をもらう。でも、手をつないだ相手に縛られない。信じて頼る相手がありながら、実際はいつも自分がひとりで考えている。これぞ近代人の落としどころだ。」
という結論で終わりますが、これは論語の「君子は和して同ぜず、小人は同じて和せず」そのものですよね。意図的に書いていますかね?
つまり、明治維新によって否定された江戸期以前の日本の精神性の中に答えもしくはカギとなる重要な知見が存在するのです。
結局は「近代人」(として求められているもの)とは戦後の多くの「知識人」が思っていたほどには人間の歴史の中で特殊な存在ではないということです。そしてそれを忘れてしまった瞬間に「近代人」は遠くへ去ってしまうのです。
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