1月18日 サンデーモーニング

#その他文化活動

18日のサンデーモーニングの「風をよむ」は言論の自由の話しでしたが、喫緊の一番重要な事件である「桑田佳祐さん、紫綬褒章取り扱いをラジオで説明」(http://www.yomiuri.co.jp/culture/20150118-OYT1T50001.html)で、右翼・街宣車の不法な圧力があったことには触れず。

戦後の日本は右翼・街宣車を野放しにすることで、言論を縛ってきたのです。

面倒なのであることにもせず、見て見ぬふりをして野放しにしてきたことを今回も続けるのでしょう。

少しのことでも発言するならここから不法な圧力を受けることを覚悟をしなければなりません。桑田さんのやったことを、大したことが無い、という人がいましたが、これがあるから、本当に捨て身の覚悟でないと現代日本ではあれはできないんですよね。

ただ、もう少し前の時代だと、ここまで縛りがきつくなかったともききます。大したことがない、というのはそういう昔の感覚が反映されているところがあった可能性があります。桑田さんにもその感覚が残っていなかったとは言えないのかもしれません。

そしてそれが硬直した方向に変わってきてしまったのはメディアの怠慢ゆえなのです。

このフランスの問題は国内でも意見が割れていて、スタジオでも珍しく意見の対立を感じ取ることが出来ます。

中西さんが24節気など日本の繊細さを取り上げ「塩梅」という言葉の日本的良さを強調したように、日本的な価値観を積極的に認めるか認めないかで、見解が変わっている模様。

サッカー界には国際的にみて、自分たちの民族の特徴を積極的に捉えて生かしていかない国は「ダサい」というような共通認識がなんとなくあるのだと思います。

VTR内では「のりしろ」ということでしたが、今まではこの「のりしろ」が市民ではなく政府やスポンサーに対するものばかりでした。これを変えさえすれば、確かに日本の「塩梅」は世界の言論の自由に対する貴重な提案になると考えます。それには加えて日本の伝統的な価値である「無我」というものを取り戻す必要があります。

一方で大崎麻子さんは風刺画を非難しがちな日本の風潮を批判。中西さんが話している間も相槌も打たないような雰囲気。「西洋的」な感じの人なんでしょうね。女性の「知識人」にはどうしたのかと思うくらいこういう人が最近は多い印象。

そういう風に自由を強調するのであれば本来「(時時刻刻)フランス、不寛容の影 「テロ礼賛」芸人拘束 モスクに発砲・放火」(http://www.asahi.com/articles/DA3S11553220.html)へのコメントは避けられません。これも微妙な問題ですが。

そのような自由が一番大切だ、実践したい、というのであれば、日本で一番桎梏となっているこの、右翼・街宣車タヴーに積極的に挑んでもらいたいと思います。

東電とメディアの旅行・広告費に始まる癒着の数々にも言及しません。そういった権力・矛盾の巣窟に挑まない自由は悪自由なのです。

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