訃報:「羽柴秀吉」の名で選挙に出馬…三上誠三氏が死去

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13日の荒川強啓さんのニュースによると、今と昔は鬱が違って、昔は仕事のし過ぎで鬱になっていたが、今は自分勝手型であるとこと。

最近の若者は意見を言わないという科学的な実験が報告されていますが、自分勝手だから意見を言わない、といえるでしょう。

同じく13日の荒川強啓さんのニュースでは青木理さんと津田大介さんのコーナーで「訃報:「羽柴秀吉」の名で選挙に出馬…三上誠三氏が死去」(http://mainichi.jp/select/news/20150413k0000e040150000c.html)について。

実に興味ない話でテンションが下がったのですが、たくさん選挙に出られたのは事業に成功したからで、供託金が払えたから、ということで供託金の話しに。

日本の選挙の供託金は300万。重複でやると900万。労働者階級の立候補を妨げるイギリスの制度を大正時代に真似したものがそのまま残っているとのこと。

イギリスは労働党になって下げられたりしたが、日本はそういうことが無い。今はイギリス8万円。アメリカやドイツにいたっては0。「世界一日本は高くなっている」状況で「選挙の供託金を早く無くしたい」とのこと。

これをみてもわかるように高額の供託金は逆に泡沫候補を抑制できていない、とのこと。

供託金の制度がこのままだと意識の高い若者が立とうとしても「スポンサー探しの中で妙な人たちが寄ってくる」と荒川強啓さん。

「世襲ですよね」と世襲のためのシステムである、ということも。確かにこれ以上に地盤・看板・かばんが効果的になる状況はないですからね。

そういう利権や無責任といった意味での「保守」を強力に支える制度だということがここまで聞いてわかります。

「みんなの党」の渡辺喜美の金銭トラブルも供託金絡みなのだそうです。

今、自民党に対する対立軸が出てこないということが言われていますが、若い人が気軽に立候補できないことが原因です。

このような自民党の残した制度を改善するのは民主党の役目だったはずですが、内ゲバで勝手に潰れて行ってしまいました。

こう考えてみるとお金を出した鳩山は大したもので、入党した人間はそれを最大限尊重するのが人として当然ですが、現執行部のたれもできていないことでしょう。

これでは金持ちによる金持ちのための政治になるのは制度面からもうなづけます。

鳩山並のお金持ちがお金を出さないと始まらないような制度ではどうしようもありません。

最近、「維新の精神」を持ち上げる風潮がありますが、当時の藩政や幕政の主導権を(身分が低いものを含む)若者が持っていた、もしくは大いに参画していたことは強調されるべきです。

そうして調べてみると幕末が例外だったわけではなく、江戸時代という時代そのものがそういう人たちが活躍する場があった時代なんですね。

沢山の問題がありますが、この供託金の問題は、戦後日本人が戦争責任者を自身で裁けなかったことにも影響しているでしょう。そういった意志を吸い上げる、真の市民の代表が立候補しづらかったのではないかと思うのです。

この問題も思想的に分析される(というと大げさで、丸山眞男・司馬遼太郎などに代表される、自分たちは何もせずに、ろくに調べもしないで、江戸期以前の文化に責任をすべて押し付ける議論がほとんどですが)ことが多いですが、まずは制度にその責を求められるのではないか、と考えます。

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