2月25日 そもそも総研

#その他文化活動

は放送法について。

この議員は流行の言葉でいう所の、典型的な「名誉男性」ですね。(ただこの言葉は努力してなっている感じがして、自分や周りを切り売りして栄達しているニュアンスが出きっていないのが課題でしょう。)
安倍内閣は「女性の活用」では無くて「名誉男性の活用」と閣内において正しく言い換えるべきではないか。

放送法は戦争の大本営発表の垂れ流しの反省から自由を担保するために生まれたとのこと。放送法の解釈を変更しようという動きも直接戦争の忘却と関連しています。
日本の最近の政治的な歪な動きのほぼすべては、戦争をまるで反省もせずに忘れようとしている所から来ていると思います。

放送法は自由を担保するものですけど、理想の高い自由ではなく低きに流れる自由になっていっている傾向が極めて顕著です。もちろん議員の低きに流れる意見からではなく、真逆の高きに流れる観点からです。

原発事故以前は電力会社から莫大な広告料を貰っていて、原発は安全神話と安価であるという神話をそのまま垂れ流し。その地域独占や総括原価方式など何も国民に知らせず改善することが出来なかったではないか。
これですら一例ですが、これは大本営発表を垂れ流したのと等しい事件です。そしてそれを何も反省しないではないか。

これは責任が取られなければならない重大なことなのです。しかしメディアはメディア自身を追及しません。

本当は仕組み自体を変えねばならないのですが、現状でもテレビは第4条に照らし合わせて放送を点検し、不純な意図をすべて締め出さねばなりません。

そして「放送は低きに流れる自由では無く高きに流れる自由にしなければならない」とはなかなか法律で縛れないんですよね。結局は文化によるものであって、日本は文化を基礎から積み直してこういった専門的な文化をさらに積み上げない限り滅びると思います。

ここら辺のバランスのとり方について玉川さんや羽鳥さんは「偏った番組を作るとみられなくなる」といっていましたけど、これはかなり楽観的な解釈では。悪貨は良貨を駆逐するものです。

視聴率が番組のバランスを取るというような主張には納得できません。もっと問題の本質を捉えて報道の真実について考究するべきではないのか。

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