視点・論点 「風雅と非情」俳人 長谷川 櫂

は捨て子を「自らの性のつたなきを泣け」と言って救済しなかった芭蕉に非情をみた内容。

「現代の人道主義からすれば許しがたい」といっても、現代と物質的な豊かさがまるで違うのですから、思想的な観点からだけで比べるのは不公平だと思います。

この場合捨て子救済が芭蕉の仕事ではないのは致し方が無い面があるといえます。

捨て子がどれくらいの単位でいたかもわからないのですから。

領主や寺が扱うべきことでしょう。

現代であれば、私たちがシリアの人たちに事実上「自らの性のつたなきを泣け」という態度しか取れないのと同じことと言えます。かえって現実を直視しているのはさすがに俳聖芭蕉といえるのではないか。

ただそういう現実の端で芭蕉の句が読まれたものであるということは肝に銘じなければなりませんが。

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