行って参りました。
仏教美術の歴史をたどるものかと思ったんですが、そういう展示もありましたが、インドや東南アジアで発達した特殊な神様の像や伝説にかなり力点が置かれている感じ。
「菩提樹(カナカムニ仏)の礼拝 インド・ マディヤプラデーシュ州サトナ、バールフット シュンガ朝・紀元前2世紀頃」や「菩提樹(クラクッチャンダ仏)の礼拝 インド・ マディヤプラデーシュ州サトナ、バールフット シュンガ朝・紀元前2世紀頃」といったものは、仏陀の前にいた仏で、それを法輪などの図像に象徴させて表したもの。
実在なのか伝説なのかぐぐって調べてみたんですけど、どうも仏伝成立後に付け加えられて伝説のようですね。
釈迦の人生や前世であるとかにお話を付け加えて壮大な物語にしているのが、マハーバーラタなどの古典文学を有するインドらしいです。そしてその中には教えも込められています。
「仏伝「占相」 パキスタン、ロリアン・タンガイ クシャーン朝・2世紀頃」は老いた占相師の人が生まれた釈迦を占って、将来悟りを開くのにその教えを聞けなくて落涙するという場面。
やっぱりなんとなく、マハーバーラタ調の感じ。占いに大きな力を認めるのはギリシア神話などとも共通します。
「仏坐像 インド・ビハール州 パーラ朝・10世紀頃」はいわゆる降魔印の仏陀。「左手で地面を触る仕草は大地神が釈迦の悟りを証したことを意味する」とのこと。
魔を下して悟りを開くシーンはキリストとも共通です。そういえばムハンマドにはそういうシーンはないですよね。
「仏坐像 パキスタン、ロリアン・タンガイ クシャーン朝・2世紀頃」はいわゆる「初転法輪」の直前の姿。
この前ラジオで仏教好きの落語家の女性だったか、悟りの境地を独り占めしたかったら釈迦は他の人に教えを説こうとしなかった、と言っていて驚いたんですけど、ぐぐるとそういうことを言っている人が複数いらっしゃるので、そういう伝承があるのでしょうね。私は知りませんでしたが。
西のキリストは積極的に説いて行ったので処刑されてしまいましたし、この時代に自分の教えを説くということは危ない行為でもあったんですよね。(今もそういう所はありますが)
例えば「釈尊の生涯 (平凡社ライブラリー) 」(中村 元 (著)131ページ)のこのシーンは全然違いますけど、このように危ない面もあるのでおずおずと布教を始めたというのが正しいのだと思います。
「仏伝「初転法輪」 パキスタン、ロリアン・タンガイ クシャーン朝・2世紀頃」はその初転法輪の図。
展示作品は仏教美術最初期のもので、後世のものほどの工夫はありませんが、丁寧に仕上げられたものが多く、作品が連なって醸す仏教的な空気が素晴らしかったです。
「宝冠仏坐像 インド・ビハール州 パーラ朝・10世紀頃」は表情も見事な美しい作品。
「カサルパナ観音立像 バングラデシュ・ラージシャーヒー、チョウラパーラ パーラ朝・11-12世紀頃」は豪華で全面に花が咲いたよう。
「銀鉢(ヴェッサンタラ本生) ミャンマー、プローム 19世紀頃」は華麗な彫が施された銀鉢。見込には黒い物体が置いてありましたけどなんでしょう?
実にぴかぴかで全然酸化していないのですけど、銀彩などと比べて鉢とかは酸化しづらいものなんでしょうか。
釈迦の以前の生を語る物語の内容はぶっ飛んでいます。それほどまでに施しは大切という、王たるものの規範を示したものということでしょうか。
「ターラー菩薩立像 インド・ビハール州、クルキハール パーラ朝・10世紀頃」は静かで動きがある豊かな作品。
「ジャンバラ坐像 インド・ビハール州 パーラ朝・10世紀頃」は財神で穀物が無限に出てくる壺などが背面にあり、リッチな雰囲気が充満しています。
今回展示されたものは東博のブログでも紹介されていますが、どれも超重用品。
かなり特殊なものが多くて、広がりを感じることができました。展示作品はすべて「コルカタ・インド博物館」のものですが、インドからこれだけ来るのは本当に大変なことです。ありがとうございました。
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