5月27日(金) 川口リリア・音楽ホール 庄司紗矢香 無伴奏ヴァイオリン・リサイタル その4

#音楽レビュー

次はJ.S.バッハ:無伴奏ヴァイオリン・パルティータ第2番 ニ短調 BWV 1004

こうやって細川作の後で聴いてみるとバッハの非旋律性というか非和声性を感じます。

もちろんバッハはどちらの名人でもあるわけですが、バッハのこの曲は特に美しい旋律で勝負するものではないと思う。現にバッハの曲は再評価される以前は数学的なものだと思われていたらしい。

カザルスが今まで練習曲だと思われていたバッハの無伴奏チェロ曲を芸術作品としてリバイバルさせたことはあまりにも有名ですが、それもクラシックからだんだん親しみやすいメロディが消えて行って、無調的なものを透過した後の世界が音が抽象的に鳴っているだけの面白さに気が付いたからだと思う。メロディの次を求めていた時代に適合したのだと思います。

音がただ鳴っていることそれ自体の深み、楽しさを感じさせます。

前曲は巫女というトランス状態に人間の精神の深奥を求めたものでしたが、このバッハの演奏は深くもシンプルなもの。

フェルメールの風俗画や英一蝶の風俗画のように何気ない日常にこそ真の聖性が宿ると主張しているがごとくです。

極太の宇宙エレベーターが下りてきているような演奏で、漆黒の空間にただ塵が舞っているよう。

過剰な表現を排し透徹しきっていて、感情も何もかも超越した世界を形成。

物凄く愉しく心地よい空間がずっと展開されていきます。

いかにバッハと言えどもこれ以上に曲の力を引き出すのは難しいのではないかとすら思います。

生演奏はそれを体現するパフォーマーの姿を直にみられるのもうれしいところ。

私の左にいた女性は楽譜を開きながらいかにも勉強している感じで聴いていましたが、願わくば解釈ではなくこの姿に学ばれんことを。

一方二つ右の男性は熟睡していびきをたてる始末。音楽は波長が合わないと何をやってもダメですね。

アンコールは無しの珍しいコンサートで、方々ではさすがに疲れたに違いないと噂していました。

「後半がすごかった」「こんな方に川口くんだりまで来ていただけるなんで。」という感激の声も聞こえてきました。

違う性格の曲を取りそろえた演奏会で、特に最後のバッハは物凄かったです!

訪問の評価は別として、ちょうどたまたまオバマ大統領が広島を訪問していたわけですが、その日の厳粛さ、厳粛な本質が声を上げたようにも聴こえる演奏会だったと思います。

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