(文芸時評)歌舞伎と生物学

http://www.asahi.com/articles/ASK2N049ZK2MUCVL00P.html)では

根っこには、個性を無化し、同じ名前に抱かれ金太郎飴と化すのをよしとする思想もあるだろう。個を立たせないのが時を超えた安心を約束する。

とのことですが「何代目」という慣習の解釈を「個性」の面から切り出すのが適当なのか。興業の面からわかりやすくするため、というのが一番重要でほとんどを占める理由ではないでしょうか。それを無視しての存在するのかしないのかわからない隘路を拡張するような考察は邪道に感じます。

江戸時代の歌舞伎というのはまさに大衆芸能であって、けれんや個性の権化です。今の歌舞伎の感覚でみているところがあるのではないか。

ばっさり言えば、仏教には「色即是空」という見方と「空即是色」という見方があります。
しかし仏教とその周辺では常に「色即是空」であるのだから「色」存在しない。「色」からくる考えは無価値だと考える(邪道に堕ちた)人たちがいるんですよ。つまり「空即是色」を知らない。

ここに書かれている西田の理論、彼の言葉などを追っていくと、そういう見地に立って発言していた人だったのではないかと思いますね。

これは「色」を西洋文明。(歪曲した)「色即是空」を(歪曲された)「東洋」に見立てた一種のオリエンタリズムなのです。

小林秀雄など戦前の思想家が陥っていた日本文化をオリエンタリズム的にみる思想。オリエンタリズム的に捉えてあえてそれに期待するという「近代の超克」。

小林秀雄は戦後ユリ・ゲラーに凝っていた、といわれますが、それは彼の思想の延長線上にユリ・ゲラーがいるからです。

そういった思想が西田の考えやこの文章から読み取れます。

これは戦前以来の日本文化論が根本に抱えている問題でもあります。

近代政治思想が専門の片山杜秀さんにもあらゆる日本文化をオリエンタリズム的に解釈して、西洋と対比させて、どちらに理があるのだろう、といった着地点に持ち込む文章が多いので、しっかり物事の本質を捉えて、曇りない眼であらゆる事象をみてもらいたいです。

ただ結論の、不即不離と融通無碍が大切だというのは、伝統芸能の一側面ですし、まさに真正の意味での保守思想というべきものなのでしょう。

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