【終戦の日】「日本が失敗するパターン」とは 歴史家・磯田道史さんと近現代史をひも解く その5

最後の今の日本人に必要なもののところですけど、これらは身体性と深く関係があるということも指摘しておきたいです。
お題目としてだけではなく身体的な裏付けがないとこれらは達成できないということです。
そして薩摩の人たち、維新の英傑は「修行」をとても重視していましたね。西郷隆盛が島流しに遭った時にずっと座禅を組んでいたのはその例です。志士たちも剣術の達人ぞろいです。

戦前の軍部などの日本人は考えることを忘れたわけではなく、その証拠にいろいろな文献の言葉を引っ張て来たりして、考えようとした跡はあります。
身体性、身体的な修行を忘れたから考えることができなくなってしまったというのが真実なのです。
それを知らないとまた同じ失敗を繰り返すだけです。

これも「司馬史観」でまるごと剥ぎ取られている、それによってまったく日本から剥ぎ取られた、極めて重要な事柄です。修行のようなものははっきり言ってバカにしていましたからね。

ただ司馬遼太郎氏は「ペーパーテスト」云々の記述で頭でっかちに陥る危険については示唆はしているとはいえる。(直接的に身体的な話ではありませんし、上の理由で頭でっかちを結局その発想だけでは克服できないばかりか重症化する危険もあるのですが。)本人が学者だからなのか磯田氏の言動を見ると、司馬遼太郎を引用するにしてもさらにそういったところがそぎ落とされていることを非常に憂慮しますね。

コメント

タイトルとURLをコピーしました