楽譜に忠実な演奏と曲想を深堀する演奏

音楽

前の記事の続きですが、ちなみに私は「楽譜に忠実」な前者と曲想を深堀する後者は同じクラシックですけど、ロックとジャズのように違う音楽だと考えています。

もしかしてカラヤンは「優れた」指揮者だったかもしれませんが、それは「楽譜に忠実」系の指揮者として力量が優れていたというに留まると考えています。

最近AmazonPrimeMusicにカラヤンの演奏がたくさん入っていたので普段自分から積極的に聴くことがないこの指揮者の音源をいくらか聴いてみたのですが、やはり合わない。
音楽の内容が抉られずにドライブされる。曲想が深堀されずに流れていく苦しさがある。曲の呼吸が無視される。
小品には豪華なところもありますが、その根本的な違和感は変わらない。
特にベートーヴェンは聴いていてやはり辛いものだ。




宇野功芳先生はカラヤン系の演奏を「精神性が低い」といって積極的に攻撃したりするのだけれども、これら二つには果たして優劣はあるのか。


ドライブする音楽は引っ掛かるところがなく、なんとなく聴いている限り邪魔されずに爽快だと思う。
音楽が聴き流される時代の名演がカラヤン系であると考えます。

鑑賞者が集中して音楽から内容を取り出すことで初めて楽しめるのが曲想を深堀する演奏です。
こちらの方が豊かな精神性、身体性に満ちていると感じますし、考えます。

この豊かさは音楽と創造的な鑑賞の共作でもあります。




ケースバイケースではありますけど、やはり私もこの二つに優劣があると考えます。後者の演奏を擁護し推奨し、その楽しさを広めていきたいと考えています。

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