ETV特集 緊急対談 パンデミックが変える世界 ユヴァル・ノア・ハラリとの60分

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「緊急対談 パンデミックが変える世界 ユヴァル・ノア・ハラリとの60分」 - ETV特集
パンデミックのただ中で今、何を考えるべきか。先日ETV特集の中で行った海外の知性への連続インタビューの中でも、特に大きな反響が寄せられたのが、イスラエルの歴史学者ユヴァル・ノア・ハラリからの警告だった。今回はこの反響にお答えし、1時間に及んだハラリ氏へのインタビューのほぼ全体をお送りする。世界が注目する知性からの多岐に...

は長時間版。
短縮版は総論の枠組みを語っている感じで、こちらでは結構細かいことも話しているなという印象。



話はハラリの得意の人と機械の融合について。この話題は最高にコロナ対策の話と「相性」が良い。そのものと言ってすら良い。ハラリのロングバージョンばかりが放送されて他の二人の分は遂に放送されませんでしたけどその理由はそういったところにあるでしょう。

人の皮膚の下の情報が集められる時代になるということ。例えば北朝鮮では感情を読み取る機械を配布して指導者の演説に喜んでいない人間は目をつけられるようになるらしい。

また、今回開発された追跡システムがインフルエンザにも使われるようになるのではないかといった話。

ただ、テクノロジーの進歩から予測可能な話が並んだだけでだからどうするのかという部分が無かったように思います。




緊急事態に定められた法律はその時だけではなく長く残る傾向があるとのこと。
イスラエルの法律を例にとっていましたけど、イスラエルは常に戦時なので長く残る傾向があるでしょう。しかしそれでも長く残る傾向は看過できないことだ。
緊急事態に関する法律を定めるときは解除についての法律をセットで極めて念入りに仕上げる必要があるでしょう。それで足りるかどうかも疑わしいですが。



グローバリゼーションがパンデミックを引き起こしたという人もいるが?と問われるとハラリは即座に否定。飛行機ができる前から疫病は世界を覆っていたとのこと。

私が思うに中国が世界経済に組み込まれたことは明らかに影響しているでしょうね。
語られませんでしたけど、グローバリゼーションの問題は主に経済と関連していると思う。グローバルになった経済の歯車がウイルスによって一気に止まってしまうからだ。




ハラリもアメリカがリーダーシップを取れないことを問題視。世界がばらばらだとのこと。

そこで道傳愛子氏が、その空白を個人や企業が埋めることはできないか?と問うと答えはイエスとのこと。

そうなるとアメリカのリーダーシップ無しに危機を乗り越えられる可能性が出て来ますよね。
グローバリゼーションによる世界の繋がりの強化がアメリカのリーダーシップを必須にしなくなったともいえる。無くても壊滅するまでには至らない。

トランプ政権が誕生した背景にも民主主義の運営が強固になってきて大統領が馬鹿で無法者でもその骨組みが揺るがなくなったからという側面があります。国民はそのことによって安心しているのです。

それら一種の「外骨格」に支えられてトランプという虚空が生まれているといえると考えます。グローバリゼーションもその外骨格の一つなのだと考えます。

ロックダウンを解く過程で中国が何か失敗して、もしそれを隠してしまったとしたら各国が同じ失敗で損害を受けるかもしれないという例え話を。
当たり前のことですが、独裁政権から受ける禍は現在進行形であることに注意をしなければなりません。




コロナウイルスとの戦いについて「これを戦争と考えるべきではないと思います。間違ったたとえです。」とハラリ。医者や看護師がケアすることでパンデミックを克服していくのであり、銃を持っての人と人の戦いではない、とのこと。
最近やたらと「戦争と呼ぶな」という人を見かけるようになったなと思ったんですけど、ハラリの発言の影響が大きいのかもしれませんね。

ただコロナウイルスとの戦いを戦争だと感じるのは主に経済活動を遂行する主体としての人だと思うんですよね。企業間戦争が戦争だとすれば、コロナウイルスとの戦いは戦争だと思います。生き残るのに必死なのですから。

また戦いに連帯が必要なのはコロナも戦争も変わりません。どの側面を観てどこをマッチングさせるかだ。
ハラリは分断という意味での戦争という言葉を否定しているようですが、コロナに対する世界の連帯を戦争といっても良いと思う。

いかに博覧強記のハラリにしても経済はおそらく語れないことが結構全体像に影響を及ぼしているように感じますね。「潜在的タコツボの罠」の視点から注意深く観なければいけないところだ。



精神の保ち方を問われると、ハラリは2時間毎日瞑想しているとのこと。マインドフルネスですかね?
思い返してみれば背景に禅画のようなものが掛けられていたので、これは日本に対するサービスというよりはハラリ自身の志向なのかもしれない。
であれば本格的な仏教式だろうか。
日本で消えた床の間的空間がハラリの研究所にはあります。



以前からずっと思っていますけど、マインドフルネスはキリスト教系の人が禅に改宗しないで(もしくは仏教をやるという体を取らないで)禅をやる表面的な改変に過ぎませんよね。関係ないですけど。
姑息だし流行っているというだけで姑息なものをありがたがる日本人の悲しさよ。



迷妄を打ち払い内になる悪魔に打ち勝ち人類の力を示そうというハラリ。ここら辺はユダヤ教的です。
宗教的な力を示すことは人間的な力を示すことで必要でな座標軸だ。この中心になるべきものが日本の「知識人」からは出てこないのです。



最後は合掌してお別れをするハラリ。間違いではないですけどハラリのような知識人にしても日本のカスタムに対する知識はそういうものだということですよね。それともやっぱり仏教に興味があるということなのでしょうか。




要約すればハラリを含めて「連帯」こそが世界的思想家たちのメッセージだ。

そして、もはや神が死んだ時代なので各思想家はそうは言いませんでしたけど、結局広くかつ本質的な意味での宗教性こそがゲーム理論的な世界で世界全体を富ましめ得る方向に持って行く中心的な役割を担うというのが私の考えだ。

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