英雄たちの選択「謎の屏風が語りだす~復元推理 大坂冬の陣図屏風~」

国内番組

【司会】磯田道史,杉浦友紀,【出演】千田嘉博,小和田哲男,平山優,【語り】松重豊

では模写のみ残されているこの屏風を色指定に基づいて徹底した研究と現代技術で復元した過程に密着。これは鮮やかで素晴らしい屏風です。
そもそもこういう感じで色指定されているんだなというのが面白いですよね。

史料によると、作者は狩野興以と伝わっているとのこと。番組では本人の絵の画風と照合するも合わず。発注者の名前は伏せられています。 

国宝の「上杉本洛中洛外図屏風」もずっと狩野永徳作といわれていたのが最近揺らいでいると聞きました。かように絵師の特定は容易ではないです。これも工房作なら画風が似ていないのも当たり前の可能性もあります。

豊臣大坂城を歴史に残す使命を帯びているがごとく正確に描かれています。
また、合戦のリアルな色々なところが描かれていて、非常に面白い。発注者予想は抜きでこれの純粋な解説だけで一度番組を作ってほしいですね。(調べるとどうもヒストリアのこの屏風の特集がそれに近いみたいですね。)

絵の特徴としては、大砲でボロボロだったはずの大坂城が非常に綺麗なのと、大砲が描かれておらず、史料によれば徳川家康が1000個も配ったという鉄の盾も描かれていない。徳川家康の陣所が隅っこに半分くらいし描かれていない。大坂城内に家康が建てた西の丸は金雲に塗りつぶされて描かれていない。
真田丸や塙団右衛門の夜襲成功の図など豊臣方の活躍がたくさん描かれている。

大砲とか鉄の盾は発注者が忌々しく感じていたから描かなかった可能性がありますよね。

条件は三つ。

①豊臣にシンパシーを感じていて
②大坂城に非常に詳しく
③これを作る財力がある人

とのこと。磯田氏曰く今でいえば5000万円位ないと作れないものらしく、3~10万石ないと作れないだろうとのこと。

これは下手をするとというか実質、織田信長発注といわれている「上杉本洛中洛外図屏風」より豪華ですよ。相当な財力が費やされています。

番組ではいろいろな説を千田氏が検証。「真田信之説」は違うだろうという話。義理堅いとしか思えない信之が描かせる感じではないですね。
「伊達政宗説」は右下に伊達が大きく描かれていることから出て来ましたが商人と喧嘩していたりする不名誉な場面が描かれていたりするのでないだろうという話。

千田氏の本命は右上に大きく本陣を構える徳川秀忠説。
磯田氏も秀吉の「秀」を名乗っていて娘が秀頼に嫁いでいる秀忠は可能性があると援護射撃。

関ケ原で失敗した秀忠にとって大坂の陣は輝かしいもので残しておきたかったという話。

私は、秀忠は本当に関ケ原を失敗だと思っていたのかなぁ、という疑問がまずあります。

「失敗を挽回するのは今この時」と秀忠が思っていたとのナレーションですけど、この文章の組み立てからも「汚名挽回」という言葉が自然であることがわかると思います。

秀忠は大坂冬の陣で講和をせず即時決戦を主張していたという話が出て来ましたけど、正面から行くとかなり危なかったでしょうね。

私が思うに武門の家が屏風を作らせるとしたら軍事資料としての意味を持つはずだからこんなに金雲を散らさなかったのではないだろうか、ということですね。しかし黒田家の「大坂夏の陣屏風」も金雲が多いようなのでこんなものなのかなぁ。

平山氏は豊臣恩顧で心ならずも大坂冬の陣に出陣した蜂須賀家ではないかと推測。しかし、塙団右衛門の蜂須賀家への夜襲成功のシーンが描かれているので違うのではないかという話。

磯田氏は徳川秀忠の娘で秀頼の妻である千姫説を提唱。家族を皆殺しにされたので化粧料だけで10万石を貰っていたぐらい大事にされていたので屏風を作る財力はあるとのこと。

合戦図屏風は男性が女性に合戦を解説するために使われることもあるのだそうです。

家の意思ではなく千姫の意思で描かれたとすれば、現代に伝わっていないことも辻褄が合いますよね。千姫個人の思いで存在していたので後の人は危ないから捨ててしまおうということになってしまいます。

ただ、折角の大坂城が隠れてしまう金雲はいかにも邪魔だ。

私が一つの説としてあり得るかなと頭で組み立てたのは、洛中洛外図屏風が輸出品として作られていたのと同様これも輸出されていたとか。本物は海外にあって模写だけ残ったとか。
美術品であればきれいな大坂城の方が良いですしね。大坂の陣の戦争の実態を知りたい外国人も多かったでしょう。
さらに想像を逞しくすれば、軍事機密が海外に行くので発注者は伏せねばならないのかもしれない。大砲や鉄の盾は軍事機密中の軍事機密なのであえて描かなかったとか。
ただそれだと正確に作り込みすぎているきらいはあるか。何も知らない外国人相手にここまでマニアックに作り込むかなぁ、という感じはありますよね。
公家に見せるのもどの段階で見せるのかということになるし、模写を作った木挽町狩野家がいつ模写をするのかという問題もある。

私がパッと観て最初に感じたのは、大坂かどこかの商人が作らせたのではないかという感じですね。この時堺は甚大な被害を受けているので難しいかもしれませんが、そこら辺を含めた誰か。
豊臣にシンパシーがあるということでみんな秀頼の奥さんとか橋の伝説で有名な蜂須賀家とか出て来るんですけど、必ずしもそこまで近く無くても良いのではないかと思う。
最近の大阪周辺の地域ナショナリズムの勃興を観ていると普通の商人でも、大坂の誇りの大坂城を残しておきたいという欲動が非常に強かったのではないかと予想します。

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