宇野功芳先生 演奏家篇

#音楽レビュー

演奏家としては、やはり「有機的な響き」がキーワードで、更には評論家であることがかなり反映されている演奏だなと思って聴いていました。

宇野先生の交響楽の演奏を「ぬら~」というオノマトペを付けて表現する人がいますけど、これは実に卓抜だと思う。

演奏家には非常にスケールの大きい人もいるから、それを評価するには自分もそれ以上にスケールが大きくなければいけない。また、いろいろなタイプの演奏を受け入れるキャパシティが無いといけません。なので演奏はスケールが大きく、指向性が薄くなる。音楽が「ぬら~」っと漂い出すんですね。

これは新星日響とのブルックナーの第4番の録音や同じく新星日響とのエロイカを聴くと良く感じられると思います。

そしてこの、ファンの注目を一身に集め、ファンである手塚治虫や丸山眞男といった当時の重鎮たちも注視する中で特異な個性を貫く強心臓!(宇野先生本人はこの解釈が最高だと思っていたらしい)

また歌心があって、緩徐楽章は良い演奏が多かったと思います。(最近はあまり緩徐楽章は好きではないと書いていたみたいですが)

「有機的な響き」にするために、音に圭角が無くて柔らかい。

エロイカを聴きに行った時にサインをもらったのですが「第二楽章(緩徐楽章)が良かったです」と言った時の「そう」と目を丸くして驚いていた顔が今でも目に焼き付いています。
恐らく自分の演奏は全てが良くてどこが良かったなどと言われることが意外だったのだと思う。

そして後ろのカップルの男性が、わが意を得たように、私に続いて第二楽章が良かったと感想を述べていたのがちょっと驚いたことで、わたしにとって評論とはこういうことなんだと思わせる出来事でした。

色々な名演奏を縫い合わせたようだなどとも言われますが、それと同時に随分個性的な自分の音を鳴らしていたとわたしは思います。

そしてこういった個性がむしろ合唱でははまって、交響曲の指揮者としては不自然なところがあっても、合唱指揮者としては正統派でかなり優れていたと思います。ここら辺はご本人が自分は合唱指揮者という通り。

弱音のデリカシーや寂寥感、造形への目配りなど、評論業からフィードバックされたクラシックの粋も感じさせて芸術的だったと思います。

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