1月22日大竹まこと ゴールデンラジオ! ゲスト金子勝(慶應義塾大学経済学部教授)その1

#その他文化活動

冒頭では新著の説明。

エピゲノムという身体を制御する仕組みをさらに制御する仕組みがあるが、社会においてそれが壊れているのがまずいところ、とのこと。

これは東洋医学でよく言うんですよ。この身体を制御する仕組みをさらに制御する力をよみがえらせることで治療する、というのがあらゆる種類の東洋医学の共通点と言えます。その制御する仕組みを伝統的に(仮に)気血と言い表してきたんですね。

一時期はやった動的平衡にゆるく括られる話ともいえるでしょうか。生物学では基礎的な概念とのことですけど、人文科学的に受け取られることで、社会に新鮮に受け取られた言葉ですよね。

有名な東西の自己に対する考えの違い。「我思う、ゆえに我あり」というデカルトに対して、道元禅師は「自己をならふといふは、自己をわするるなり。」といいました。
つまり、東洋では自分について考えている時点で自分になりきっておらず分裂した状態であると考えるんですよね。

いわゆる修証一如とか三昧と言われるようなもっとも活発に活動している集中状態。最近スポーツ科学で言われるゾーンのような状態こそがその人がその人自身になりきっている状態であると説きます。

(ただここで気を付けてつけておきたいのは、ゾーンのような集中状態でも、余計に気を取られない形で強烈に自分に対する客観的な意識が働いていることです。今までの仏教界もしくは、鈴木大拙氏であるとか、このことを言わなかったがために社会に対して仏教に対する余計な勘違いを招いたと思います。(そしてそれはやはり戦前の思考停止にして非伝統的な滅私奉公の精神と繋がっていたのかもしれません))

これはつまり動いている姿が人として最も平衡が取れている、という考えだと言い換えることもできます。

そういう東洋な考えが科学的に裏付けられた、もしくは響き合ったかのようなところにこの言葉のブームがあったと思うんですけど、エピゲノムの働きにも同じようなものを感じます。

政治の話に戻ると、結局まずい状況をまずいと感じない。悪いことをしても悪いと思わないしおかしな方向に行ってもおかしいと思わない人が特に国の重要なところにいるからこのようなことが起きるのだといえます。

そういうことでバランスが崩れた状況が継続してしまうわけで、結局は政治家を含めて社会の構成員一人一人の心身にアプローチしていかなければ変わらないのではないかというのがこの問題に対する私の考えなんですけど、たぶん金子さんはそういう考えは採らないんでしょうね。

こういう東洋医学的なアプローチが社会にも必要なのではないか、ということで私は常に東洋の理念の重要性を語っています。

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