行ってまいりました。
ベートーヴェン: 『エグモント』序曲
は気迫があって落ち着いた演奏。走りたくなるところでもテンポを保つのが、しっかりしています。
弱音に潜めるようなメリハリがあればより特別な音楽に近づくに違いありません。
オペラの序曲なので、終りの方は楽しい劇の始まりを予感させるベートーヴェンとしては明るく華麗な曲。次のピアノ協奏曲もモーツァルトの影響が指摘されていますが、ベートーヴェンは意外とモーツァルトの影響が強い印象で、こういった所も影響があるのかもしれません。
ピアノ協奏曲第3番 ハ短調 op.37
アリスさんは出てきたときから、ぱっーっと背筋が良いです。弾く前は結構周りを見渡したりごにょごにょ動いていて、辻井伸行君にも通じる自然体です。
ドレスは真っ黒のぴちっとした物で、一部シースルーになっているもよう。
演奏会のホームページの動画では「ベートーヴェンは年齢とともにシニカルになっていきますから」とアリスさんは語っていましたが、前期の作品はベートーヴェンでありながら後期の禍々しい深刻癖が無いのが楽しいところ。交響曲第三番位まではそういう楽しさがありますよね。
このピアノ協奏曲第3番はそういった時期の一つの頂点でしょう。
第一楽章はそういう開放的な感じで、ピアノものびのびと音を転がしていて、華麗です。右手だけの速い部分が多い曲ですが、素晴らしく安定しています。
第二楽章のノクターン的な余韻も素晴らしく、第三楽章は盛り上がりを繰り返す明るく力強い演奏で、緩急と爆発力が見事です。
指揮者のヨーン・ストルゴーズも、私は知らないですし、周囲でも「誰?」などと噂しているのが聞こえるような余り有名では無い人でしたが、かなり良い演奏。
新しい刺激を提供するんだ、というよりは伝統的なクラシックの音楽性に興味がある感じで、ドイツ的という言葉で連想できるような渋みや、力強さがあり、ベートーヴェンにふさわしい野太さがあります。かなりベートーヴェンに向いている指揮者のように思いました。
ただ、個性を説明するとなると難しい。フルトヴェングラーやクレンペラーのように一聴してわかる特徴があるわけではありません。
オーケストラを自分に引きつけることが許されない時代のマエストロなんだな、ということも感じました。それでそもそも、オーケストラや曲を自分に引きつけることをしないシューリヒトっぽい指揮者が増えた、ということを宇野功芳氏は感じるんだと思います。
私が例えるなら、中型のマタチッチといった感じでしょうか。そこに現代的な、学理的な知がさらに加わります。
強音部での呼吸も強く適切で、客席まで聴こえてきます。その呼吸を下地にした爆発力も素晴らしいです。
アリスさんと併せて、良縁が育んだ素晴らしい演奏だったと思います。
ピアノアンコールの
シューマン:3つのロマンス op.28から第2曲 嬰へ長調
はロマンティックなうっとりさせるような演奏。緩やかな呼吸と共に場全体の空気感を作っていきます。
退出のお辞儀もきれいで、今回も見事なパフォーマンスでした!
休憩を挟んで後半は
交響曲第5番 ハ短調 op.67 「運命」
速度はかなり速い方で、やや意表を突きます。ジンマンより少し遅いくらいか。
ベートーヴェンの速度指定があまりにも速いのでメトロノームが壊れていたのではないかなどと言われていますが、実際相当速かったのだと思います。なので速度は適切。
こういう論争もベートーヴェン存命当時の演奏が伝わっていないから起きることで、それにしてもクラシック界は伝わっていないことが多いです。やっぱり使用人に作らせる職人的なものという軽視する意識が大きかったのでしょうか。
誰でも知っている4連打の動機の最後のフェルマータをやたら伸ばして哲学的(???)な意味を込める指揮者は多いですが、ストルゴーズはほとんど伸ばさず。このあっさり加減はブリュッヘンのDNAを受け継いでいるといえるのかもしれません。
いわゆる現代楽器でやる古楽器演奏の影響を受けた演奏で、軽やかで聴きやすく、そこに現代楽器の演奏で培われて来たドイツ的な渋味であったり、厚味がプラスされてちょうどよい音楽になっています。
20~21世紀の長い演奏史の一つの結論と言えるでしょう。私がいま交響曲第5番を振れと言われたら、たぶん同じような方向性でやると思います。
秋に来る庄司紗矢香さんとフランクフルト響のオケ曲もなんと偶然に交響曲第5番で、胃もたれしそうだな、と思っていたのですが、これなら大丈夫そうです。
「良かった、良い指揮者だ!」と心の中で叫びました。
静寂に放り込まれるオーボエのソロは「ハイリゲンシュタットの遺書」を書いたベートーヴェンの心情を薫らせます。
かなりしっかりベートーヴェンを振れる指揮者です。ベルリンフィルの新任シェフの音楽は聴いたことが無いですけど、ここまで振れるとは思いませんね。ストルゴーズで良かったのでは、と思います。
第二楽章は大河のようにうねる響きが素晴らしく、訴える力の強い緩徐楽章。
大植英二の音楽もうねりますが、小手先の単発のものになりがちで、これくらいのスケールがあると良いと思います。
第三楽章は推進力のある演奏で、曲の力が引き出されています。
苦悩を抜けて歓喜に至る第四楽章は、輝かしい音色と爆発力。
この人は膝で指揮出来るのが特徴。爆発する直前に膝を曲げて少し小さくなることで、沈潜したせり上がりを演出することができています。これによって音を手で押さえるのとは違った、根源的な力動感を伝えることができていました。
上半身の動きも必要最小限ながら派手で、強い呼吸で暴れ回っていますが、ここでもテンポ・造形が保たれているのが好印象。
非常に素晴らしい交響曲第5番でした。
アンコールは
シベリウス:アンダンテ・フェスティヴォ
で、やっぱりフィンランド人指揮者だということでしょうか。カーテンのような弦の合奏が続く曲で、時に急速に漸強・漸弱を繰り返す極めて美しい曲です。素晴らしい演奏効果でアンコールにはぴったり。
交響曲第5番の第2楽章でみせたスケール大きく音楽をうねらせる才能が発揮されていて、会場全体がその美しい流れに揺らめくようです。
ただ情熱的なので、シベリウスらしい凍えるような感じはそこまでありませんでした。
どの曲を取ってもとても良い演奏会でした!
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