NHKスペシャル “終戦” 知られざる7日間 その2

「兵士たちはどうしても負けを認める気にならなかったと言います」「敗戦を受け入れるなら集団で自決しよう」「自爆するという話も出ました」といった危うい話が出てきます。ドラマと相似形のエピソードといえます。

鈴木貫太郎がすぐ首相を辞職した背景がわかった気がします。降伏に導いた「腰抜け」のいうことでは軍の暴発を抑えることができないと考えたのでしょう。

一方でそういった現場で兵士たちをなだめることができた指揮官には一般の大学出が多かったとのこと。軍以外の違う世界を知っていることが大きかった、と専門家の指摘。

「こういった人々の格闘の上に日本の戦後が始まったのです」とのナレーションですけど、やはり始めなければこういった苦労もなかったということは根本に無ければなりません。

「空襲の経験、きちんと映画に 「火垂るの墓」高畑勲監督」(http://www.asahi.com/articles/ASH846KG4H84UTIL058.html)の

最近の戦争映画には違和感を感じるものもある。「愛する人や家族を守るために戦う」なんて、戦時中は誰も言っていなかった。「泣ける」「感動した」という共感を呼ぶための欺瞞(ぎまん)であることを見る人たちは見抜いてほしい。

という証言は、どこまで行っても基本です。

もしかしたら天文学的な確率でそこから外れることもあったのかもしれませんが、まずありえないことなのです。

「命と引き換えに彼らが守ろうとしたものは何だったのでしょう」とスーパーJチャンネルのドラマの原作の特集でナレーションが流れていましたけど、ドラマの解説と絡めて「敵の脅威から同胞を守ろうとした」と思わせるようにほのめかされていますが、それはないといえます。

「妻と飛んだ特攻兵」は特攻を美しく描いた作品として、以前までなら作られることのなかった作品なのではないか。
特攻を理のあるものとして描くことは許されません。

この番組をみれば、今回のドラマのような「愛する人や同胞を守るための特攻」という事例があったとしたら、極めて特異な人間による特異な事例ということになりますが、残されたものから見ても、行動から見ても、当時の人間として平凡な人たちであり、そのようなことはあり得ないと断言します。

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