100分 de 名著 旧約聖書 第3回 聖書の成立

第3回は、南王国も滅亡して巨大な新バビロニアの首都の郊外に民族ごと連れ去られた「バビロン捕囚」。

このつらい状況に置かれることで、さらに信仰心は強まり、第2の出エジプトを期待するようになったとのこと。

その中で二つ変化があったらしく

①掟が強くなった

②ヤハウェが創造神に格上げされた

とのこと。

日本に置き換えれば神道が明治の国家神道になって(変化というよりそもそも違うとも言えますが)教育勅語や戦陣訓に代表される決まりが爆発的に増えました。

神様に関しては、今まで最初にさらっと触れられるだけでほとんど重視されていなかった天之御中主神が重視されるようになりました。これは平田篤胤がキリスト教の影響を受けて始めたみたいですね。

創造神になったというより、創造神の神様としての格が上がった現象と理解できるでしょう。

だいたい民族を結束させるために起きる宗教の変化は共通していると括れるでしょう。

新バビロニア王国がペルシアに滅ぼされ、ユダヤ人はエルサレムに帰還。神殿を復興します。

ペルシアは新バビロニア王国以上に宗教に寛容。セム系の強烈な一神教でなかったことや、まだそういった宗教がでてきておらず、宗教による団結力とそれによる反乱の可能性についてあまり感知していなかったことが影響しているのではないかと推測。ただこれは、オスマントルコまでつながる、自分たちの宗教は勝手にすれば、という中東の伝統でもあるのかなと思います。

ここでペルシアに提出した「掟」が聖書の核になったとのこと。神に関係していない人に掟の変更を許可してもらうことはできず、ペルシアに変更を願い出ることができず、ここで権威あるテキストが誕生したとのこと。

テキストに異同があると分派ができてちりじりになったりしますからね。そういう面でも良かった(?)のだと思います。

次いでアレクサンドロス大王が登場。その映像の素材に「文明の道」で使われたものが入っていましたね。懐かしい!

ヘレニズム文化が伝わり、知恵がつき、社会的正義や道徳などに照らし合わせて自分は救われているはずだという、神の前での自己正当化をするようになったとのこと。

しかし律法はすべて学ぶのも大変で、すべて守るのは不可能。なので実際は救われない。それと照らしわせることによって律法の権威化が行われたとのこと。

ざっくり言って、禅などが道徳が内面から出てくるものであるのに対して、キリスト教は外からなんですよね。ここからいわゆる禁欲的な方向に行くわけですが、日本でも浄土系はややそういう傾向がありますよね。

こうやってみていくと、常にユダヤ民族は大国の狭間で規定されていて、ある意味自律的なことは全くしていません。そしてそれは現代でもそうなのではないかと思わせるのです。

コメント

タイトルとURLをコピーしました