行って参りました。
当日券はほとんど残っていない状況。お金を出して席を買ってもあまり良くなさそうなので舞台裏近くの2000円のC席を。音のバランスが悪いといわれていますが、伊福部音楽であって、金管ましましだと思えば、楽しいもの。
ただかなり良い席に人が座らずにいたので、もったいないなと思いました。なんか配ったりして無駄になるんですかね。
最初の曲から「伊福部 昭:SF交響ファンタジー 第3番」ということで、1、2番は聴いたよねといった感じの構成。
指揮は井上道義氏から交代の大植英次氏。
何があったのだろうと思ったのですけど、体調が悪くてどうしても出られなかった模様。一日も早い回復をお祈りします。
無念の井上道義氏のコメントが会場前に張り出してあって、要約すると東京オリンピックで奏でられるべき日本を代表する音楽は伊福部昭を置いてないだろうという内容。
大植英次さんは大阪フィルのシェフに就任する前後に、結構耳にしたんですけど、誤解を恐れずに表現すれば、禍々しい感じのサウンド。
キャリアのハイライトはバイロイトへの出演だと思うんですけど、ワーグナーとかマーラーであるとか、調性が溶けかかった時代の音楽が得意で、調性がしっかりした曲を指揮しても、なんとなく調性が溶けているような雰囲気がするのが特徴。
指揮の身振りはかなり大きくて、手のひらをオーケストラに密着させて吸い寄せるような、独特の魔力があります。なるほどこの指揮でオーケストラをこねくり回すことで、あのリリカルとも豊かともいえない独特のうねりが出てくるのだなと納得。
伊福部音楽の強力な弦の刻みに、こういうねっとりした雰囲気もついて、かなり芳醇で豊かな音楽になっていたと思います。大阪フィルに行ってからその影響かやや音楽が厚くなったような気もするのですが、良い感じの安定感があったと思います。
ただ指揮中は下を向いたままでいることが多く、エネルギーの燃焼が内向きな感じ。
日本人指揮者の中ではかなり柔らかい方ですけど、肩の力が抜けきっておらず、まだ微妙に打点に硬いところも。
前のめりになりがちなところもありますが、ここも軸で耐えて平衡を保ってほしいところ。
曲中に気が付いてみると指揮棒を持っていなく、あれっ、最初から持っていなかったのかな、と思うと曲中のどこかで指揮棒を使い始める謎のスタイルで、変わった人です。持ち替えたりもします。
また、地面を踏み鳴らしたり、気合や唸り声を上げたり、自分の体を叩いたり、譜面をやたら大きな音を立ててめくったり、不要な雑音をたくさん出しますが、わざとらしさはないので、嫌な感じはしません。
特に伊福部音楽とは相性の良い所作といえるでしょう。ただその他の人の作品を振るときはどうしているのか気になるくらいですが(^_^;)
海外で活躍している日本人指揮者で有名なのは何と言っても大野和士ですが、大植は力量的には大体同水準だと思います。
どちらかというと気持ち先行の指揮者で、大野の明晰な代わりにやることがわかってしまうようなタイプと比べると、音の先が見通せない面白さがあります。いい意味での不器用さがあって応援したくなるタイプです。
ただ、音が高雅さに欠けるところがあって、今の個性を失わずに、ラトルや大野が持つようなさわやかな明晰さも併せ持てたら、一気に世界的なスターダムに駆け上がるのかもしれません。
「二十絃箏と管弦楽のための交響的エグログ」では二十五絃箏の野坂操壽さんが登場。もはや巨匠の風格十分で、入ってきただけで感動させるものがあります。
解説によると「エグログとは、しばしば対話の形をとって綴られる牧歌とか田園詩のこと」とのことで、温和な曲調の中で、語り合うように進んでゆきます。
野坂さんの筝は、一音一音が空間すべてを吸い込むようであり、玄遠であり、わびさびの極みです。
私の隣の席は若い女性で、伊福部音楽で、この舞台裏の席で、(誰もしくは)何を聴きに来たのかな?と思っていたのですが、大植氏が退場する時の身振り手振りや、退出する時に追跡して拍手していたことから、おそらく大植マニアだったのでしょう。
大植氏はスコアを大切に抱いて退出していましたが、動きが面白く目が行ってしまう個性的な味があるので、熱狂的なファンが付くのもわかるような気がします。似たような人はほかにも何人かいた感じ。
「ピアノと管弦楽のためのリトミカ・オスティナータ」は最強の打楽器ピアノを舞台の中央に据えた、伊福部音楽の中でも最もと言えるくらいエネルギッシュな作品。
(家で音を加減をして)CDで聴くのとは、また次元の違う迫力があります。
ピアノの山田令子さんは腰を浮かしてガンガン叩いていましたが、指を痛めないのか心配なくらいです。
帰りの電車の中で、楽器を抱えながら、ソリストを探すのが大変そう、と話しをしていた女性がいましたが、きっとこの曲の話をしていたのだと思います。
強烈な旋律がオスティナートされる中で、オーケストラそのものがあたかも太陽のようにさんさんと輝いているような錯覚を起こさせる、超凄演で、これは素晴らしかったです。
大植さんは、山田さんとひっしと抱き合い、両親指を突き立てて客席に示し、充実した演奏であったことをアピール。
メインの「交響頌偈「釈迦」」は以前の演奏を聞き逃してしまい、エアチェックをして執念で聴いていたのですが、実演はやはり素晴らしいです。
お釈迦さまらしく穏やかな曲調が最初は長く続き、いつもの伊福部節に加えて春が萌え出づるような柔らかさがあるのが特徴。
浄土宗から委託された作品で、お釈迦様の人生がモティーフ。伊福部音楽の土俗性がここでは古代インドの大地と民俗を思わせます。
出家をして煩悩と格闘するところを描いているという、戦闘的な激しい部分を超えると、はっと、音楽が無に。
大植氏は全休止を合掌で表現。聴いている我々も合掌するしかありません。変換がややこしいんですけど、合唱付き作品で合掌していたんですね。
海外から借りた宗教性で作ったような曲も日本にはありますが、そういうのものと比べると、日本の風土に根ざした一本筋が通った自然な精神性が素晴らしいです。
片山さんの冊子の解説によると、かなり周到に短調と長調の中間の響きを作っていて、それが不思議な雰囲気を醸すのだそう。
他の伊福部作品に無いような、透明感が音にあり、合唱はまさに法悦に堪えません。こんなに素晴らしい合唱付の曲があります!
大植氏は音楽の終わりも合掌で休止。手をだんだんだんだん下におろしていって、息を「ふっ」と吐いたところで会場の緊張が解け、皆破顔一笑。
大植氏は楽譜にキスをするなどして、曲にこの場に感謝を表現。会場全体が充実しきっており、私は散華をして祝福したくなりました。今度この曲を演奏する時はそういう仕掛けがあっても良いと思います。
時間いっぱいなのか、アンコールは無し。会場の中では大植氏が、団員がいなくなった後にも何度もカーテンコールに応じている模様。
売店でも店員さんが「東京交響楽団がまた伝説の名演を成し遂げました!私も興奮しました!」と絶叫。
物凄く充実した演奏会でした。これで2000円は安すぎます!
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