東日本大震災復幸支縁 善光寺出開帳両国回向院 その2

#その他芸術、アート

3月24日の朝日新聞の山中季広東京社会部長の文章には「日本がバブルに狂ったのは二十何年か前のことだが、西欧の国々は何世紀も前に大なり小なりバブルをくぐり抜けている。」とありますが、同じようなものは日本にもあり、「面白いことに江戸時代にもバブルに似た現象があった。」(江戸の園芸 10ページ)と以下に日本の園芸バブルが詳説されています。

田中森一元検事の「何しろ江戸時代からずっと続いてきた日本の右肩上がりがどかんと終わるなんて、だれも予想できなかった。」という言葉も載せられていて、これはバブル時代に投資を奨めるレトリックとして多用されたものですが、間違っているといえます。結局は自国の歴史に無頓着だったのがバブルの原因のひとつであるといえましょう。

司馬遼太郎さんはこのことを指摘せずにチューリップバブルを追いかけましたが、上の神話を批判できるものではなく、取り扱うべき問題がぼけていたといえるでしょう。

氏は江戸時代を評価するのですが、ざっくり言って文化に興味がなく、その華ともいえる園芸文化にも興味が無いんですよね。なのでこのようなことも指摘できなかったのでしょう。

「江戸時代展という重厚な展覧会」とご本人はいうのですが、実際氏が江戸時代展を開いたとしてどのような内容になるのか、さっぱりです。かなり重要なものがごっそり抜け落ちるような気がします。また江戸時代独自というより江戸時代の中からプレ近代化的な文脈で理解できる部分を歪な形で取り出したものになるでしょう。
恐らくなんとなく江戸時代は良さそうだなという直感があって、それは正しいのですが、その優れた内容についてはご本人もなんとなく感じていたぐらいというのが実情だったのではないでしょうか。

404 NOT FOUND | 社会通鑑~See through the media&society~
太田記念美術館 没後150年記念 破天荒の浮世絵師 歌川国芳 後期:〈遊び心と西洋の風〉
後期も行って参りました。なんでも、普段から国芳のまわりには数匹から十数匹の猫がたむろしていたらしく、家には猫の仏壇があり、死んだ際の戒名を書いた位牌が飾られ、猫の過去帳まであったそうな。かえるを捕まえて庭に放して声を聞いていたそうです...

5月7日の朝のラジオではバブル崩壊以前の銀行の利息がそのままだったら、大量のお金が市民のものになっていた、ということをやっていて、そのお金はどこに消えたのか、と。
今話題の老人医療の問題に大きく関わることで、結局はあの時代に将来の分まで食いつぶしてしまったということでしょう。

5月6日の報ステでやっていた、北京の大気汚染は異常なレヴェルで最早前が見えません。放射能による被害は甚大で異様に大きく、深刻で比べられるものではないですが、西に避難された意識の高い人達の中でまた難儀している人は結構いらっしゃるでしょう。
逃げた先で困難があったらまた逃げることにことなるから東京に留まった、という段文凝さんの言葉も思い起こさせます。何が正解かは別ですが。

5月7日の「とべさる」では宗教を持っていると、色々良いことがあるというアメリカの研究の話で、宗教を持っていなくとも希望を持っていれば良いのではないかというパックンの〆。

大なり小なり宗教はどこでも生活体系ですから、希望一つで置き換えるのは苦しいと思います。白川静さんも仰っていますけど、論語などの優れているところは色々なシュチュエーションで色々な角度から書かれているからなんですよね。(「呪の思想―神と人との間」[単行本]白川 静 (著), 梅原 猛 (著) 136ページ)

アメリカでは自国で納税率が高いのも離婚率が低いのも宗教の効用と考えられているとのこと。

パックンは無宗教だというから、宗教的にゆるい日本はいやすいのかもしれませんね。日本のものはそもそも訳語としての宗教と呼んで良いのかも謎ですし(やめた方が良い)。マーティさんなんかも性格的に明らかに日本に居安そうですし、そういう相性はありますよね。

アメリカは宗教を心理学的・生理学的に研究したものが多い気がするんでけど、日本はさっぱりですね。仏教を信仰すると寿命が延びるとか、何か研究はないんですかね?

アメリカは何とかキリスト教を肯定していこうという動きが国内で強いのだと思うのですが、日本の仏教などは肯定するも何も、実はあんまり科学と深刻な摩擦を起こさないんですよね。もしくは大して熱心な信者もいないので、どうでもいい、もしくは面倒くさいから捨て去ってしまうという人が多いのでしょうか。

日本は無宗教でも倫理的に大丈夫なので宗教はいらない、といわれてきましたが、原発事故にしても、それ以前のバブル崩壊やその他の公害まで、そのような前提はありえるのでしょうか。狭い国土に警察網が行き届いているので犯罪率は低いということになり、それを根拠に倫理的には大丈夫であると主張する人も多いのですが、私は表面的な数字にごまかされて、水面下で溶け切っているのではないかと思うのです。

「共に4割が印象悪化=竹島・歴史問題で、日韓世論調査」(http://www.jiji.com/jc/c?g=soc_30&k=2013050700724)とのことで、ここでは竹島問題が挙げられていますけど、ヘイトスピーチのことを考えれば、悪意をもたれても仕方が無い状況といえるでしょう。国益的にも、友誼の面からみても、国賊という言葉はまさに彼らのためにあります。

5月6日の朝日新聞朝刊の国民栄誉賞のセレモニーの写真は、長嶋と王と松井が映って横にいるはずの衣笠だけ切れているというもの。

読売ならまだ、まだ、分かります。しかし何故朝日がこのようなことをするのか。公平性に著しく欠ける写真です。
社会の巨人主義(今もあるのかが不明で、朝日が思い込んでいるだけの虚像のような気がしますが)に過剰に媚を売っているのか。読売の提灯持ちになっているのではないでしょうか。

いくらなんでも余りにも酷くて、意外とツイッターなどで怒りのコメントを観ないのが不思議なくらいです。

巨人と広島といえば報ステで、広島ファンの久米さんが全球団を平等に扱っていたのに対し、古舘さんの報ステになると一茂さんを起用して巨人を中心に扱った編成に。視聴率を追及していこうという姿勢なのでしょう。

古舘さんは一部の視聴者から変に嫌われる司会者で、その理由はしばしば「押し付けがましい弱者目線」と説明されますが、そういう意味で言ったら久米さんの方がリベラルで、古舘さんはむしろそういう姿勢では後退しています。やはりむしろ前に言った釘付け的な個性が影響しているといえるでしょう。(http://blogs.yahoo.co.jp/ffggd456/53118194.html

同じような発想がこの朝日の一面にもあるのでしょう。

報ステは地震で原発が壊れたのではないかということについてはよく追及していますし、被災者についても振り返っているほうだと思うのですが、メルトダウンについては他の媒体と同じで遅かったですし、その裏にはむしろメルトダウンを追及する記者を咎めるような記者クラブメディアの姿勢があります。speediも同じく。

デモについての報道も、極大化してからは取り上げたという点ではNHKなどよりはるかに勝っていたと思いますが、遅かったと言えますし、それ以外に目を移せば、大きな規模のデモが散発していた中で、平等というには遠かったと思います。

「風評被害」については東電の責任を追及するわけではなく、東電の解体・売却と本格的な国有化については言及せずに東電病院でお茶を濁しています。

玉川さんは一貫して自分は東電解体を訴えているといっていましたし、実際そうです。テレビ媒体でもできないわけではないのに報ステはできませんでした。

古舘さんは震災直後の報道について率直に謝りましたが、たとえばspeediについて本当に思いつかずに政府に質問しなかったのか、一緒に隠蔽したのではないか、他にも種々の不作為はいったいどうなっているのか、などなど疑問が尽きない中で、検証はありませんでした。

均して評価すれば他媒体よりはいささかまとも、といったような具合だと思うのですが、久米さんだったらどのような感じになったのかなー、とはたまに思います。

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