出光美術館 没後170年記念 仙厓・センガイ・SENGAI ―禅画にあそぶ―

美術

最終日に行って来ました。
凄まじいコレクションでしたね。出光の創業者が博多出身で仙厓さんが特に好きらしく、集中して蓄集されたのだそうです。

今回は仙厓さんについてかなり予備知識を入れてから行ったんですけど、知るほど仙厓さんの良さが身に沁みてとても勉強になりました。僕は江戸時代の禅僧は同じ臨済宗の盤珪さんが好きなので比較してみたいと思うんですけど、盤珪さんは

僧「興に乗じて不意に冗談を言って良いでしょうか」
盤珪さん「信用を失いたければ言えば良い」

という問答が有名で、私は実際盤珪さんの言った冗談を殆ど知りません。
仙厓さんはまさに是の逆を行っています。もし駄洒落・冗談が無かったら私達は仙厓さんの宝の大部分を失う事になるでしょう(失敬)
とはいえ盤珪さんも26歳で不生を悟ってからは禅僧なのに坐禅を殆ど組まなかったり、一般的な意味での努力の様なことはしなかったようですし、古則公案なんのその(一々意識しないということ)という人ですので、胆力の一方での余裕のありかというものが全く正反対だったのがこの二人だったのだと思います。
俗世に対するスタンスも逆で「法を重んじ世間を軽んじる」と言っていて、実際にかなり超俗的な盤珪さんに比べて、仙厓さんは商人に訓戒を授けたり、売れない南瓜を売ってみたり、博物学の流行に流されてみたり結構俗です(笑)
しかしこの2人は真逆で、仏教というのはこういうものだとは定義できないし、本当に大きく多様な可能性を持った文化だと思います。

最初のほうに有名な「絶筆碑」があったんですけど、線の味わいが格別です。雄渾でやっぱり何処か――――先入観ではないと思うんですけど――――楽しい感じがあるのが良いです。
「切縄画賛」が一番の爆笑ものでした。縄を鬼みたいな者が怖がっていたり、人が足に絡みついた縄から這って逃げる絵で「切れ縄に口はなけれど朧月」と賛が有りました。多分蛇が居たと思って驚いたら実は切れ縄だったという説話が題材だといます。這って逃げる人がまさに迫真で、情けなくもユーモラスでした。
「頭骨画賛」は髑髏に目口鼻から線が出ていて「よしあしは目口鼻から出るものか」と賛があって印象的で含蓄深いです。以前宗教学者を名乗られる方が「仏教は性善説である」と言い切っておられましたが、この言葉の意味を考えればそういう分類は成り立たないと思います。
仙厓さんが細密描写をされていた頃の時代の絵の中で一際凄かったのが「釈迦三尊・十六羅漢図」で、その丁寧な描写は十一面観音の古佛を思わせました。凄く細かく特に中央部はいくら見てもどう描いたのか見当がつかない程でした。違う場所でですが、友達がこの絵を見てキャーッと声を上げていた、と話されていた方が居りましたが、それ位のインパクトはある絵です。
展覧会のパンフレットに使われいる「指月布袋画賛」は月が悟りを指が法を示す等と解釈されていて、見る者や学者さんはどうしても定義しようしてしまいますけど、頭を真っ白にして眺めれば眺めるほど、暖かな良い絵だとの感慨が強くなります。展覧会ですからどんどん見て行かざるを得ないのですが、この絵もそうですけど、基本的に仙厓さんの絵は長く眺める事で真価が発揮される物が多いように思います。ずっと見ていたらタイムアップになって、あわてて閉館と同時に会場を出ました(笑)
○△□は下の解説に宇宙を表しているのだろう、と書いてあったのですが、以前日曜美術館でやっていた仙厓の三角の心が丸くならない、という呻きのような言葉を図にした物だという説の方がしっくり来ました。同テレビでは一番墨の薄い□から先に書き始められたという驚きの事実もやっていて、このディスプレイでもその事を隅にでも書いておけばよかったと思います。仙厓さんらしからぬ?真面目な図で、言葉にするのははばかられますが、なんといいますか、厳然とただそこに有るような絵でした。仙厓さんが一生心に抱えられた公案のようなものだったのだと思います。
日曜美術館では他に、仙厓さんは僧であって絵描きじゃないから禅の心を伝える絵ばかり描かれていたんだ、と言っていましたけど、それでは「――仙厓と旅」のコーナーにあった熱心な旅行スケッチの説明がまるでつかないと思います(笑)
「堪忍柳画賛」にも非常に深い意味を感じました。柳に風折れなし、と言うことで良く有る画題のようですが、封建時代の仏教の難しさと重ね合わせてしまいます。仏教は平等(仏教用語としての意味で)を旨としている訳ですが、だからといって「身分制度何するものぞ」であるとかと言ってしまうとすぐ捕縛されてしまいます。
余談ですが仙厓さんは「らしゅう」ということで、坊主は坊主、町人は町人、男は男らしくしているのが良いという言葉も残されています。これは明恵が「あるへきやうは」という表現で同じような意味の事を言っていたり、最近では山田無文老師がよく言っていた言葉で、封建主義を肯定する体制寄りのニュアンスが有るので私は好きではないのですが、仙厓さんがいえた台詞かとも思いますので、半分は冗談なのかもしれません(笑)仙厓さんは実は天衣無縫な所と保守的な所が上手く拮抗していた人だったのだと思います。
仙厓さんは武士が余り好きではなかったという話が伝わっていますが、さっきの様な考え方は結果的ながら武士階級に都合の良いものですし、生涯大きなトラブルは無かったようですので、付かず離れずといった感じでその人生は封建社会における僧の在り方の一つの回答だったと思います。一方弟子の湛元が島流しに遭ってしまったのは、良くも悪くも仙厓さんの様な余裕が無く、彼の時代に適合する事に失敗してしまったのだと思います。湛元は仙厓さんが後継に定めた程の人ですし、きっと好漢だったのだと思います。現代にいらっしゃったらきっと意義の有る事を成されたでしょう。この柳の絵は風に向かって傘を差し出している人の様な構図が印象的で、堪忍の字の腰の据わってる事は凄いの一語です。
「――仙厓と博多」では「花見画賛」が特筆ものだと思います。この適当な群集図がとても好きです(笑)ひよこみたいなのが一等かわいいなと思っていたんですが、横の注が読めなくて何だろうと思っていたんですけど、カタログには子供と書いていました。かきそこない、なんていう注がついたものも有りますけど、それをそのまま放っておく所に文字通りの飾らなさを感じますし、自然な様がそのまま芸術になるという考え方(仙厓さんは考えるということも無いくらい自然に描いたものだと思いますが)は現代美術っぽい所が有ると思います。
現代っぽいといえば仙厓さんの賛は所謂言文一致体が多いんですよね。国語の歴史に詳しい訳ではないので断言は出来ませんけど、かなり画期的なのではないでしょうか。
「―――仙厓と旅」では「箱崎浜画賛」が心に残りました。簡素な中に凄い余韻が香っています。「宝満山竈門神社画賛」は素晴らしい細部を揺るがせない作画で、やっぱり禅がどうとかと言う話ではなく、仙厓さんは純粋に絵が好きなんだと思います(笑)

・・・きりが無いのでこれ位にしますけど、精神的に凄くインパクトの有る展覧会でした。私にどれだけ感じ取れたかはわかりませんが、線の一本一本に仙厓さんの優しい禅境とも言うべき物が篭もっていて、自然に余分な力が抜けて駄洒落を言ってみたくなる感じでした(笑)出光には仙厓さんの作品が1千点以上あるというのですけど、、、( ゚∀゚o彡°常設!常設!(無理)

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