報ステの3.11特集も興味深いものが揃っていて、四号機建屋に突入したものは、古舘さんの追及癖が良い感じに出ていて、現状への認識が深まりました。
まさにのっぴらきなら無い状況で、深刻さが十二分に身に染みているつもりの上でいえば、スポーツの中継のクライマックスのような緊迫感が古舘さんの面目躍如だと思います。
それにしてもこういうときに一番大変なのはカメラマンの人で、古舘さんも含めてお疲れさまと申し上げたいです。
気仙沼の堤防特集は、本当にどこまでも被災地を食い物にしているな、という一言で、やはり行政の人間性を疑う、という言い方しかできないと思います。
本来なら地方公務員がしっかり地元に根を張らなければいけないのですが、もっと酷そうな状況で村井知事の能力は無残の一言。堤防を作る事を説明する時の論理は穴だらけで、指摘するのも面倒くさいですが、ひとついえば、何故国が三年しか堤防の資金を出さないという話に、掛け合って、議論してからにしてくれといえないのか。恨まれても命を懸けてやりますといった感じの自己演出が、寂しいながらも詐欺師のそれとまったく変わる所がありません。
しかしTBSの報道特集と違って浮動式堤防の話は一度も出てこなかったのですが、余り重要な論点ではないと判断されたのですかね。
L1(昭和三陸大津波クラス)L2(東日本大震災クラス)という区分けも、にわかには得心できないもので、この二つの津波などを詳細に比較した特集もどこかで組まれるべきだと思います。
そもそも堤防を担当されている人達は、震災による堤防の決壊に対して、どれだけ予測していたのか、責任は、何を学んだのか、という所が伝わって来ず、恐らく同じような人達が新しく計画を作りました、といわれても、すんなりとは受け取れませんし、受け取るべきではないと思います。
堤防ありきの政策は放棄されるべきで、それをもっと被災地が本当に欲している所に使うべきだ、という古舘さんの意見は至極真っ当です。コメンテーターの三浦俊章さんも(行政の不備を指摘すると反動が来るので)何とか横に逃れようとしていましたが、最後は同意せざるを得なかったことが窺えます。
大熊町が中間貯蔵施設を受け入れるか受け入れないか、という特集は、受け入れる受け入れない以前に町民がまさに棄民状態です。
環境省は調査調査と繰り返していますが、そうやって時が経つ中で、未だに補償が出ていない、というが信じ難い感覚。十全に補償をした上で仮の町をつくり、議論はそこから始まるといいうのが当然です。本当に必要な所にお金がまったく流れない、というのが異常な状態で、官僚は自分たちの利権構造の中に入っていない所にはびた一文渡したくない、というのが良く分かります。
下請け構造の取材は、六次下請けまであるという滅茶苦茶な構造についてやっていて、そのつどピンはねされ作業員には日給1万3千円しか渡らないとのこと。
しかも低線量の仕事であると、熱意のある方!と募集しておいて、実際行ってみると高線量、ということをやっているということで、命をターゲットにした詐欺以外の何物でもありません。
その取材風景は、尋ねれども実態の下請け会社が無い、といった、振り込め詐欺の取材とみまごうもの。こういった人達から、この前山田五郎さんが言っていたようなところに流れているのでしょう。
その東電以下、下請けのモラルはまさにやくざの世界。
告発された方の、人としておかしいだろう、異常な世界だけど中にいると異常に感じない、というのはまさにかたぎの世界ではない所の感覚です。この現状は政界の責任も含めて、「日本総やくざ化」というのがぴったりだと思います。
どこまでいってもしらばっくれられることの連続で、シンプルに言えば、やはりこれは首相の責任だと思います。大臣まで取材していましたが、その直撃も欲しかったと思います。
3月16日のニュースキャスターではTPPについてやっていて齋藤孝さんは大きな視点で考えるべき、といっていましたけど、ミニマムな議論が尽くされておらず、寺島実郎式のごまかしだと思います。医療を始め重要な分野が報道に乗らない、議論が尽くされていない、というのは齋藤さんも知っているはずで、それを言わないというのはどういうことなのか。
論語を読んで狂狷の精神を学び直してもらいたいと思います。
また、アメリカとの関係を含めて考えなければいけない、と言っていましたけど、アメリカに利益を提供して仲良くしてもらうという発想で、植民地化しないと仲良くしてもらえない友情というのは本当の友情ではありません。そしてそれは、政治を代表として、日本が国家として二本足で立つ事ができていないことが原因なのです。
これも寺島実郎ということがまったく同じで、齋藤さんは明らかに明治のキッチュでマッチョよりの思考に偏っており、しっかりした論理と(もしくは)いうべき事をいうという意志に欠けています。
空手の修行を基礎からやり直して欲しいと思います。
たけしが医療分野にちらっと触れて、まともなことをいいましたけど、たけしの方がまともだというのはいったいどういうことなのでしょうか。
品種などについて心配する渡辺えりさんの発言はだいたい常にまともです。もっというと遺伝子組み換えが脅威なのでしょうけど。
TPPについては報ステでは古舘さんはまっさきに混合診療のことなどを切り出していましたけど、三浦コメンテーターが安倍政権を擁護して「自由貿易」という事を考えているのかもしれない、といいましたけど、TPPはブロック経済であって、まともにこの問題を考えている人なら誰でも心得ているはずのことです。
やはり、わたしはこの問題の事を考えていると、司馬遼太郎さんの「踏み出しますか?」 という随筆の事を思い出さずにはいられません。なんとなく、日本は閉じていて、世界には共通のルール・土俵があって、日本はそれに参加しなくてはならないんだ、ということを、本当に具体的なことはかかれずに、もやっと提示した文章なんですが、これは戦後、世界のルール(グローバリズム)としてアメリカ(に都合の良い実はローカルな)のルールを受け入れて来た日本の、ぼやけた思考停止の認識そのものを示しているんですよね。
そしてそういった思考形態が「自由貿易」という言葉の中に凝縮されて受け継がれているように強く感じます。
また、強行して良い根拠にであるかのように「高い支持率」を口にしていましたが、(私に言わせれば一時的な)経済を隠れ蓑にして、他の事を置き去りにしようとしているのではないか、と他人事のように指摘していたのはほかならぬ朝日新聞のはず。
また、反対派議員が押し切られるのは、高い支持率のせいではなくて、選挙以前からの予定の行動であることは、当然といって良いですが、コメンテーターとしてそのような洞察をもてないのか。持てているのであれば思ってもいないことをテレビで言っているということになり、どちらにしろ退廃しています。
大島さんのブログにホロヴィッツが出ていましたけど、やはり聴かせる演奏家で、聴衆に訴える勘が良かった。どちらかというジャズ的な勘に近いのかな、と演奏を思い出しつつ思ったんですけど、検索してみるとジャズは好きだったみたいですね。
他の演奏家のように頑張って爆裂演奏・奇人やっています、という感じが無いのも、邪念を感じなくて良いのではないでしょうか。
良い意味でジプシー系というか、私はジプシー系の民族音楽が好きなんですけど、今いたらピアノのラカトシュとか呼ばれていたのかも知れません。
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