Bunkamuraザ・ミュージアム マンチェスター大学ウィットワース美術館所蔵 巨匠たちの英国水彩画展 その7

#その他芸術、アート

行って参りました。

水彩画はイギリスでは18世紀に広く描かれるようになったらしく、「18世紀には静物画とともに序列の最下層に位置づけられていた風景画だが、19世紀初頭」になるとどんどん地位が上がっていったのだそうです。その興隆はイギリスで「野蛮なものとして顧みられなかった山岳風景が崇高なものとして捉えられるよう」になったことと同期しているそうです。

字統を引くと出てくるように「岳」というものそのものが「岳神の信仰」を表した文字で、そういう白川静さんが解き明かしてきたようなアニミズム的な世界に回帰してきたということでしょう。

こういった習俗は世界各地にみられるもので、そもそもヨーロッパにもあったのだと思うのですよね。それが恐らくキリスト教によって覆い隠されていて、再び世俗化していったときに元の感覚が呼び覚まされてきたのではないかと思います。

「ケルトの水脈」((興亡の世界史) 原 聖 (著))は今一ケルトについては良くわからない本なんですが「アイルランドはむしろ影が薄い。古代ケルトに関してはまったく関連しないといっていい。」とのことで、ケルトとアイルランド、イギリスは特に古代に関しては関連が薄いということについてかかれていて、本の中の記述もガリア中心にしたとのことで、そのような構成になっています。

とはいえ、ブリテン諸島にケルト系の言語が残っていたりすることが、こういった価値観を真っ先に回復して行くきっかけになったのかもしれませんね。

こういう変化は、後のアーツ&クラフト運動などジャポニズムの興隆と比較すると価値観が一直線にある方向に伸びているのがわかり、それらの前段階としても注目できるのかもしれません。

白川静さんは叙景詩は中国では六朝期の謝霊運、西洋ではワーズワースがはじめてやったもので、それよりずっと前の万葉集が叙景詩であるわけが無い、とよく仰るのですが、そのワーズワースが活躍したのが19世紀前半。本展の目玉のターナーは同年代で、ウィキペディアには要出典付きで「西洋絵画史における最初の本格的な風景画家の1人である」と紹介されています。

この二人は、ちょうどその頃にそういった自然観の変化につれて自然に出現した兄弟といえるのでしょう。

しかしこうやってみると、キリスト教があった西洋と日本の自然観を同列に並べるのはかなり無理があるような気もします。中国との比較がやはりメインで、万葉集は詩経にあたるという白川説の詩歌の発展段階から言って、やはり万葉集の叙景歌と思われているものは呪歌なのでしょう。

水彩画とともにピクチャレスクという概念が出てきたらしく、「起伏に富み、唐突に変化し、不揃い」であるものが描かれる良しとされたのだそう。西洋はシンメトリックを好むとされているので、これもある意味、東洋・日本に近づくような概念であるといえるでしょう。

そのようなわけでエドワード・デイスの「ティターン修道院、モンマスシャー、ウェールズ」は苔生した味わいが見事。
カズンズの作品は町を描いたパノラマ感が良くて、東山魁夷の初期作品に雰囲気が似ています。ここらへんの水彩画の影響はありえるのでしょうね。

ロングは本展の中でおそらく唯一の女性画家で、当時は数少なかったとのこと。父親がアマチュア画家でコレクターで国会議員だったらしく、描くしかないという家庭環境だったといえるでしょう。水彩画は「18世紀子女の教養」と解説にありましたが、プロはほとんどいなかったことになり、やはり女性の地位が高くなかったのでしょう。

ガーティンの作品などモノクロっぽく、水墨画的な味わいがあります。社会的・内容的に似たようなところもあるのかもしれません。

ファンリントンの「ダンバートンを望む景観」はスケッチ目的だが実験的な表現も盛り込まれている、とのことですが、やはりスケッチ的です。こういう作品群は上手いんですけど感動するかというとまた別問題で、印象派などと較べますと、浮世絵は写意という概念を輸出したのだな、と感じさせます。

第2章は「イタリアへのグランドツアー」というタイトルで、ナポレオン戦争が始まるまでの1790年代まで広く行われたそうです。水彩画の流行は大陸旅行のスケッチ、という面も大きかったようです。
そして、そういう時期が過ぎると更に東方に行き始めたとのこと。

カズンズの作品は真ん中に近くに描いた木が三本あって、向こう側に湖を望む構図が良い感じでした。

ラスキンの「ストラスブール大聖堂の塔」は石造りの壮大な伽藍ですが、それと細部を積み重ねてリアリティーを出していく水彩画などの手法が重なります。

ハントの作品は額縁がすべて豪華。ヴィクトリア朝の威光なのか彩色も色とりどりで、非常に凝っています。

本展覧会の柱の作家はターナー。光の描写に定評があるようで、教科書に出ていたようなテムズ河畔を描いた作品はやわらかい有機的な光が見事。
まぶしい光線を柔らかく仕上げるのが上手く、月明かりを描いたものも美しいです。

レマン湖の作品の前では、実際に行ったけど全然違う、と横のごおばさまが呟かれていました。

ヴェネツィアを描いた作品はかなり崩していて、写真の時代が始まって印象派の時代が近づいているのだな、と感じさせます。

1760年作の作品が出展されている、トマス・ゲインズバラという作家は屋外で描いて写生していたらしく、こういうのは絵の具チューブの発達とともに印象派に特有のものとしてからられますが、そうとも限らないんですね。対照的にターナーは室内で描き上げたとのこと。

アンドリュー・ニコルという作家は独学だったらしいのですが、その技巧は精密。

とても精密で美しいのみならず、帝国として絶頂期のイギリスを代表する美術で、社会・文化的なものも非常に絡みあっていて、そういう意味でもとても面白い展覧会でした。ありがとうございました。

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