7月19日には玉川さんは酷暑でも関西の電力が足りていることを指摘していて、立派ですが、節電の成果としていて、火力を停止ていているような状態だった事には触れませんでしたけど、このことは触れにくい雰囲気があるんですかね?
松井さんはヘリコプターで燃料の取り出しの取材に7時間張り付いていた、ということですけど、時間を教えてもらえないらしく、大変です。
大手メディアは原子力ムラの手足となって働いていますけど、根本的なところで軽視されている様な気がとてもするんですよね。薄ら寒いといいますか。
NHKは7月19日の午後9時代のニュースでは、スポーツに入る前にみんなでふざけてテーマソングを歌っていましたけど、この日は節電をしないと電力が足りないというニュースが間違いであったと、決定的に判りやすくなった日でもあって、厚顔無恥な上にたるんでいると思います。
このニュースでも人が熱中症で死に、SPEEDIでの怠慢でも、多くの人が被曝しました。心はどこかにおいてきてしまったのでしょうか。
障害者団体の方が、再稼動のだしに使われた、これ以上の侮辱はないと仰っているそうですが、もっともそういう報道を重ねたのはNHKです。
永さんも最近のHNKのアナウンサーはふざけすぎだ、といっていましたけど、権力と戦ってその中でユーモアがあるというのはありえますけど、特に報道系の番組の場合、この一年半にやってきた事だけをみても、無残であって、それでふざけるのは、命に対する哄笑、とすらいえると思います。
なんでもNHKは何百億円にも上る事業債を東京電力を始めとした電力会社に買ってもらっているらしく、見逃していたのですがこれは去年も話題になっていたみたいですね。
国から予算を貰ったり認めてもらっているので、なんとなくゆるい繋がりの中で原子力ムラから抜け出せないのかな、と良心的な解釈をしていたのですが、直接的な強いお金の繋がりがあるんですねぇ。
国民からの直接の強制的な徴収に加えて、NHKは総括原価方式によって支えられているんですねぇ。
あまりにもムラよりの報道を平気で繰り返すのが悲しく、さらに個人個人に恥ずかしいという雰囲気が観られないのがさらに悲しいです。
他局もNHKの報道は本当に公正なのか、とこの繋がりを問題視して、(本来なら)ライバル局として畳み掛けるべきだと思います。
その後の報ステでは値上げのニュースで総括原価方式に触れ、会社更生法をしっかりと適用するべきだった、という言い方で東電解体という選択肢を微妙に匂わせていましたし、古舘さんも「銀行」という単語を微妙に出しました。
しかし、選択肢のビジョンとしてしっかりと説明されておらず、極めて不十分な印象。発送電分離を含めて先行きを説明するべきだと思います。政府が東電を生かして賠償を国民に負わせることに決めたから値上げをする、という言い方がやっぱり一番判りやすいと思います。
他にも、東電病院の話をしていましたけど、多くの保養所などの無駄のごく一部で、そういう位置づけで取り上げて欲しかったとおもいます。
また、古舘さんは会社更生法をきちんと適用する選択肢が本当に良いのか疑問がある、といっていましたけど、私の知るかぎりでは、銀行の貸付が焦げ付いて経営責任を問われることぐらいしかデメリットが浮かばず、番組内で説明の機会が欲しいと思います。
やはりテレビでは「銀行」という言葉を出し辛いというのが、この問題の本質の一つではないかと思います。しかし、世の中の色々な問題は、銀行がらみの事がとても多いので、だとしたら最早動きが取れませんよね。このままの横並びではtepcoの時と同じになってしまうと思います。
三浦さんは、東京は福島の電力を貰っていたのだから負担を分かち合うべきだ、といっていましたけど、福島の方々の負担に対して分かち合うならまだしも、東電の負担を分かち合う方向性しかまだ見えておらず、この時点で発言することではないと思います。
しかしNHKのニュースはきっとはるか政府に寄り添ったものだったのでしょう(断定的推測)
7月19日のニュース23では「戻ってきた水田風景」、ということで川内村の水田をやっていましたけど、やはり少しでも汚染されたものは食べたくない、というのが消費者の当然の心情で、わざわざ被害の大きな所で再びやるべきではないと思います。かえるを大写しにして、戻ってきた自然を強調した絵を流していたように思いましたが、かえるは一番汚染の酷い所でもいるといえばいると思います。
蛍が出た、とやっていましたけど、放射能と蛍は関係なく、誤解を意図的に招こうとしている映像だとおもいます。
「風評被害」に負けない、とやっていましたけど、風評被害としていかにも実害が無いように報道するのはおかしいと思います。東電のもたらした実害だというアングルが重要だとおもます。
減反政策をやっていたのはつい最近で、ここら辺の土地を違うことに利用して、農家の方々には違うところでの生活の基盤を東電が用意することが、大きな眼で観た時に一番賢明だと思います。そしてそのための道筋、選択肢を政府が示すことを促すのが、報道の正しい方向性だと思うのです。政府の「事故はなかったんだよ」といった方向性で終わらせようとしている動きと一体化していると思います。
食べて応援キャンペーンは農水省から受託して電通が音頭を取ったともいわれていますが、だとしたら本当に罪が重いと思います。
今度、原子力規制委員会委員長に就任した田中俊一は、20mSv以下になって避難が解除されたら、補償をすぐに打ち切るようにと何度も発言しているそうですが、国が国民を被曝させて賠償金を節約しようとしている、という切り口から問題を掘り下げるのがメディアとして当然だと思いますが、国と一体化してむしろ、被害者・国民に対する被曝の強要と、賠償金の節約に強力に加担しているのではないでしょうか。
23は事故からだいぶ経った後に、SPEEDIについていかにも政府を追及しています、という感じで放送していて、非常に腹が立ったのですが、TBSの酷さは本当に凄いと思います。
ラジオで久米さんは五輪の「額縁」が嫌いといって、くそみそにいっていましたけど、私もイギリスばかりがテレビに出るようになってげんなり気味。インドの「カースト制」やアフリカの「部族」は、イギリスを始めとした西洋が創作したものだという説が定説になっている、という事を前に書きましたけど、イギリス(やフランス)の現状をみると成る程な、と思わせるものがありますし、やはり女王の誕生日を祝いすぎだと思いますし、ビック・ベンを改称するに至っては呆れます。東京新聞に祝って沿道に居たのは白人ばかりだった、と書かれていましたけど、生まれで人を区別する思想を礼賛する思想がこのフィーバーの底を流れている、という観察はきっと正しいでしょう。
アヘン戦争で不平等条約を作ったのもイギリスですし、日本も難交渉を強いられたといいます。
この前も「らららクラシック」で、イギリスのプロムスで威風堂々に熱狂している会場をやっていましたけど、歌詞の内容がマニフェスト・ディスティニーっぽく、カルト度がかなり高くて鳥肌が。百年後にはこのままの形では歌えていないのではないかと思います。
一方で日本の文化では、たとえば、勝海舟は芭蕉について、禅味がある、と評していましたけど、これは音楽なども含めた優れた日本の芸能の多くにいえることだと思います。禅の価値というものが見直される中で、そういった諸文化の価値も上がってゆくのではないかと思っています。
威風堂々みたいなのも面白いですけど、やっぱり禅味のあるものは格別で非常にしっくり来ます。
戻って、勝敗をつけずに記録だけ取ればいい、という久米さんの提案は、このまえの白川静さんの祭りの理想性の話と通じるものがあるでしょう。オリンピックに克服するべき悪しき近代、が要素として多く含まれているのは間違いないと思います。
官邸前デモにに鳩山が来たということでニュースになっていましたけど、それを咎める与野党の声は「いかがなものか」。党の中で意見が違うのはおかしい、という考えがあるようですけど、鳩山の考えはもともとの本流です。
あとNHKでも何でも疑問なのは、局内のブログなどで、局ではこう伝えているけど、私はこう思いました。といった感想をみたことが無いことで、そもそも政治・社会に興味の無さそうな人もいますけど、社内で異論を言い難い雰囲気ができてしまっているのではないかと思うのです。
一人一人にではなく、そういう違う意見を排除するであろうと思われる、社内・社会の雰囲気・仕組みに異議を唱えたいと思います。
久米さんも電力会社の人達が聴取会で意見を言うのはともかくとして、全員原発推進になるのがおかしい、会社の奴隷になっている、と言っていましたけど、同じことですよね。
普段もあまり知らないですけど、この日の久米さんはかなり飛ばしていて、これをニュースステーションでやったら、神がかった番組になると思います(^_^;)
筑紫哲也の方がぬるいので、クリントンがそちらへ行った、というのは有名な話で(噂の真相調べ)久米さんと較べると筑紫哲也はどうしようもなかった。
久米さんも当時は制限があってぬるいと思ったんですけど、筑紫哲也は政治家をゲストに招いても、ともに天下国家を語る(ことに陶酔している)雰囲気で、しゃにむに政策の間違いを突いてやろうというような気迫もなく、最早ジャーナリストではなかったと思います。
政治家の持っている矛盾を棚上げしないと、ともに親しく語らう、ということは自民党政権では成立しないんですよね。
最近では飯田哲也さんが息子さんとお話しているのも読みましたけど、江戸時代に責任押し付け型&欧米を見習え式のピンボケした電波発言ばっかりしていたので、いやはや、と思いました。
その飯田哲也さんは相当追い上げつつも選挙に負けてしまいましたけど、やはりその筑紫さんの息子さんと同じような偏見も持っているんですよね。
欧米の植民地化の論理としてのアジア専制論を歪んだ歴史観とともに受け入れて、西洋的な知識・見聞を持った自分が日本国民を専制論の中の無力なの民衆のようにみなして、国を引っ張って行く。(この前の葉隠と同じく、創作された歴史としてこの方が戦前・戦後の為政者やかなり広く取ったその周囲にとって都合が良かったのだと思います)市民もそういった状況を半ば受け入れてしまっている、というのが日本の病根だと思うのですが、飯田哲也さんもそういうところを、昔の発言をみる限り結構濃厚に持っていたんですよね。
実際に農村に住まわれている方々の「原子力ムラ」という言葉に対する違和感、もたびたび聞くようになりましたけど、この言葉にはやり先ほどまでに説明してきたような歴史観が反映していると思います。今回の選挙においてもそういったところを直しきれなかった、というのが短期で盛り返しながらも敗因の一つになったのではないかと思ってみていました。
江戸期を否定した長州出身だというのもあります。根本的に悪い人ではないですし嘘もつかなければ論理も明快で明るい人で、地域に根ざした取り組みも素晴らしいと思いますが、こういった所の歴史観がしっかりすれば、もっと農村などの人々から根本的な深い信頼を勝ち得ることが出来たのかな、とは思います。
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