旅する気持ちで、ふらっとみてまいりました。
旅といえば、山本太郎さんのツリーハウスは凄かったですね。あんまり網羅していませんけど、密林物の番組の中で最高峰だったのではないでしょうか。あの高さと自然の雄大さには痺れます。ああ空は高く、ゾウムシの幼虫は、、、、。
山本太郎さんといえば年末に森永卓郎さんと対論していましたけど、最初の原発を停止するとお金がかかるなんていう質問から、原発の寿命を無視していきなり負担が発生するかのような物言いで、自分で調べればすぐわかるようなことばかり聞いて、どうしようもないなぁ、というのが正直な感想です。
浜岡が停まったときにも真っ先に再稼動を主張して山口一臣さんに呆れられていましたけど、原子力ムラの肩を持つのが一貫した方針のようです。
山本さんはお金を貰っているんですか、と聞いていましたけど当らずとも遠からずといいますか、この人はテレビになんか本当は出たくないんだけどね、というような事をよく言うんですよね。
否定の中には肯定を含んでいるといいますか、そこら辺が真相なのではないかと思います。テレビに出たら出演料も当然発生しますし、お金を含めた一種の利権にしがみついているのだと思います。
このまえ「はじめてのおつかい」で、大震災と余震によっていわき市の家族から笑顔が消えた、再開を目指していたいわきスパリゾートハワイアンズは余震によって休業を余儀なくされた、といっていましたけど、原発の影響に決まっているでしょう。
お金に目が眩んで嘘をつき続けることに、子どもに対して恥ずかしいという気持ちはないのでしょうか。
病膏肓に入るという言葉では表現しきれないものを感じます。凄まじい徹底具合といえるでしょう。
キャスターの堀尾さんですとか、万引き犯はけしからん、ということを特集の後に言ったりするのですが、マスコミの健康被害への影響や、ベントに際して住民避難は3kmで十分、といっていたという班目委員長を批判しないことをはじめ、原子力村を温存する報道・不作為に較べれば、むしろ万引き犯は小悪党といえるのではないかとすら思えてきます。
もちろん万引きは非常に重い犯罪だと思いますが、それにしても、なおです。
仏教の凡夫という言葉には、普通は病気という意味があるそうですが、そういうことが誰の眼にもよく分かる状態に今の日本はなっているのではないでしょうか。
また、原子力ムラの人たちは責任を取らないわけですが、その人たちを見てとても強く感じるのが、レールに乗って普通にやって来てなんで責任を取らなくてはいけないんだ、という心象ですね。
人は普通に生きているだけでは大きな過ちを犯す可能性があるのです。それは人も社会も常に理想的ではありえないからです。
社会と軋轢を生むような主体的な判断をしないと、人は大きな加害者に成りうる可能性があるということです。
そしてその取るべきリスクを回避した責任は必ず取らなければなりません。
人とはそういう存在である、という事を社会全体の価値観の根本に据えることが、私はとても重要なことだと思います。
「脱原発世界会議 2012 YOKOHAMA」の賛同者の欄をみるといけべえ先生が名前を連ねているんですね。いけべえ先生は現代音楽も作曲するんですけど、比較的柔軟な人で「風の子守唄」とか抒情的な名曲も多く、何より人相が良いです。
寄せられているコメントも精神性に溢れていて、結晶化の極みです。
がちがちの現代音楽の本流からは、こういう声を上げる人はいるんですかね?
書初めではごぼうさんこと秋元さんが「腰痛」って書いていましたけど、やっぱり筋トレが原因なのではないかと思います。
とくに表面の筋肉をがちがちに鍛えるとそうで、AKBの人たちは折角良いトレーナーを選べる位置にいるわけですから、同じ筋トレをするならインナーマッスルを集中的に鍛えてくれる良い先生に付くことをおすすめします。
リラックスして気合を入れてくださいね!
この番組では、りのさんは全体的に下ネタが多かったんですかね?インパクトが出て良いと思うんですけど、あんまりやると、お昼の番組やNHKに呼ばれなくなるかもしれないので気をつけてくださいね(^_^;)
CMに出ていたのもみたんですけど、りのさんの生きの良い感じが良く出ていたと思います。
被災地訪問はまるまるもりもりがかわいらしかったです!お客さんと近い距離で強いAKBの強味がとても出ていたと思います。
本当に被災地の人の糧になっているみたいで、非常に感動いたしました。感謝の念に堪えません。
レコード大賞では前振りのインタビューの大島さんがかわいらしかったと思います!
内容もしっかりしていましたし、最近の柔らかくて落ち着いた感じが出ていたと思います。
この日は改めて思い出しても、神がかってかわいらしかったとおもいます。
レコード大賞はおめでとうございます!
しかし、気持ちはわからないこともないんですけど、みんな、泣きすぎなのでは。。。
AKBはよく一人一人のメンバーになると分からない、といわれますけど、これは逆に言うと全体の雰囲気が評価されたということでもあるでしょう。
AKBが去年何で売れたかっていいますと、絆という言葉が流行ったことと関係があると思います。AKBのメンバーは長い間一緒にやっている中で、本当の絆を体現していたと思います。だから国民がそれに惹かれたのだと思います。
そして馴れ合い以上の「絆」ということであれば、その要は大島さんだったと思います。
こういうのは一朝一夕ではありません。今年メンバーを大きく入れ替えるという噂があるのですが、そうなると売れなくなってしまう可能性はかなり高いと思います。
秋元さんの「仕掛け」を評価する人が多いですが、それはむしろ枝葉だった、というのが僕の考えです。
秋元さんはみるからにじっとしていられなさそうな感じなので、そういうような事を本当に考えているのではないかと思うのですが、どうかなあ、というのが正直な感想です。
しかし、秋元さんが率いているからあれですけど、女の子一人一人をみていると、おにゃんことかより格段にしっかりしていると思います。
ほこたては表情の豊かさとかわいらしさが他の共演者と比べても圧倒的だったと思います!
この番組は大島さんが出る前からみていて、リンゴ対決とか面白かったです。
最近は特に宣伝臭がきついですけど、それは別として、技術者同士が死力を尽くす姿は美しいものです。
大島さん、マニア問題の時笑いすぎです(^_^;)(笑)
JALの客室乗務員の町田さんは確かに品があって綺麗だったんですけど、普通の人の品は品よく作った品の良さで、町田さんもその範疇だったと思います。
市川さんは存在そのものが品があるのが他の人とまったく違う所で、だから別に品よくやろうとしている訳じゃないので(多分)突発的なことが起こったりすると、自然というか、変な声を出してリアクションをしたりするんですよね。そういうのが凄いと思います!!!
餃子の皮でアップルパイはおいしそうでした。豆苗栽培はマイブームです!とても美味しいんですけど、高級食材だったんですねぇ。
ほっかいろのときの動きもとてもかわいらしかったです。
私が広重の絵をみて一番感じることが、地球のようなどでかい玉の上を、アリが這うように人が営んでいる、という感覚が大抵の絵に強くあることで、そのスケール感と江戸の自然との共生の雰囲気に打たれます。よく情緒的、と評す人がいますけど、そういう面もあるのかも知れませんが、それをうけてあえていうなら非常に巨視的な情緒といいますか、そういうものが私にとっての広重の楽しみの基調にあります。
カタログの解説によると、広重の東海道五十三次は初期は漢画的な表現で、だんだんいわゆる広重っぽい表現になって行くのだそうです。洋風表現の影響も結構あるそうです。
また近年の研究によると円山四条派の影響もあるらしく、参考絵画として出品されていた応挙の「青楓瀑布図」が思わず、いいものもっていますねぇ~、と呟くくらいの名品。たおやかで力強い水の表現が絶品です。賛は難しくて意味があんまり取れないんですけど、「洗耳」という語句があったので許由の故事と関係がある瀧なのでしょう。
「伝説によれば、許由は陽城槐里の人でその人格の廉潔さは世に名高く、当時の堯帝がその噂を聞き彼に帝位を譲ろうと申し出るが、それを聞いた許由は箕山に隠れてしまう。さらに堯帝が高い地位をもって許由に報いようとすると、許由は潁水のほとりにおもむき「汚らわしいことを聞いた」と、その流れで自分の耳をすすいだという。」(ウィキペディアより)
漢籍というと保守的な印象があると思うんですけど、孔子にしても改革派の人で、特に白川静さんが描き出す孔子は流亡の反骨の人といえると思います。
漢籍には健全な意味で、社会を疑ってみる見方といいますか、そういう反骨の作法を若いうちに学べるような効用がとてもよいと思うのですが、どうでしょうか。
フランス革命にも影響しているという噂もありますが、幕末の志士は孟子を革命のよりどころとしていました。また、朝鮮の激しい農民反乱は儒教をより所としていたそうです。
人が固定観念や権威の虜にならないためにどうすれば良いかというと、そういうものに対する免疫を子供の頃につけておくことです。
何も教わらないで自然に育っただけでは、よほど特殊な場合を除いて、大体いこういったものに巻かれてしまうと思います。それが現代日本の政官財etcのもたれあいを作り出しているといっても過言ではないでしょう。
司馬遼太郎さんは坂の上の雲で子規に、漢文をやると頭が固陋になる、といわせていますけど、そんなことは無く、むしろその中の良質なものは固陋なる事を防ぐ伝統の智慧であって、これを洗練させつつ次代に受け継いでゆくべきだと僕は思います。
また、論語の「女子と小人とは養い難し」を日本の女性の地位の低さと結びつける言説がありますが、一番論語が読まれていた江戸時代でも、女性の地位は結構高く、厳密に国際的な比較をした研究を知らないので断言できませんが、他の国と較べても劣ることはなかったのではないかと思います。
あんまり他国から富を収奪しないで築き上げたバランスとしては、かなり良いものなのではないでしょうか。
一番読まれていた頃がかなり良いのに、ほとんど読まれない現代の女性の地位の低さを論語に求めるのは辻褄があわないと思います。
ギリシャの男尊女卑は酷かったみたいですし、ヨーロッパでも近世に至るまで女性は男性の所有物で有るという通念があり、現代もその名残は色々な所で感じます。プロテスタント的価値観の影響も大きいでしょう。
それでも別にギリシャ文化でもヴィクトリア朝の文学でも古典として読まれて育まれていますし、日本だけそういう理由から古典を捨ててしまって過去と断絶するのはおかしいと思いますし、とてももったいないことだと思うのです。
広重の東海道五十三次は、実際は行っていないのではないかという説が有力で、下絵として使った当時のガイド本などが知られていますが、最近の研究では、中国の版本が元になっている絵もみつかっているそうで、谷文晁の作品の影響もあるのだそうです。何でも取り入れて消化する活動が旺盛で、画風というものを固定的に捉える視点の頼りにならない感じを自然に感じさせます。
シンプルで最新研究も織り交ぜた、瀟洒な展覧会だったと思います。橋がかかってなくて渡るのが大変な大井川、とかサントリー美
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