とりあえず書いておけば、ひびき先生は誕生日おめでとうございます!
ひびき先生はずっと先生と呼んでいましたから、ずっと年上だと思っていました。まさか同年代だとは。
最近画像でお顔を拝見したんですけど、祥子さまにそっくりでびっくりしました。華やかな眼に特徴がある気がします。
これからも新刊をはじめ、色々なお仕事に気合を入れてくださいね!
誕生日といえば、りのさんもおめでとうございます!
いいともは犬さんが芸をしている時に、後ろで応援して拍手していた所に、りのさんの人柄が表れていると思いました。
りのさんの企画のせいか、水曜日にほんわかとしたチーム感が生まれているような気がしないでも無いような気がします。
先週の増刊号はとても面白かったです!あんまりみていませんけど、一週間のバラエティの中で一番面白いんじゃないんでしょうか。
エースの自覚が欲しい、とかコメントが的確で流石でした。
りのさんのポーズは流石にプロで、一瞬でアイドルになるのが、とても凄いと思います。
ちょっと前のいいともはCMの間の踊りがかわいらしくて、りのさんはアイドルになっていなかったら何をやっているのか想像がつかないくらいだと思います!
いいとも増刊号では上京する時の行動力にビックリしました。
あと、番組側で、りのの「り」の字を間違えていたと思います(^_^;)
先週のよんぱらはリコーダーとかそつが無かったと思います。
カミスンは北原さんのいっこく堂さんの真似が、とてもうまくて衝撃的でした。すんごいですねぇ。
いっこく堂さんはあのぐっさんですら真似しているのをみたことがありませんからねぇ。
PON!は体調悪い中、お疲れさまでした。悪意なく言うんですけど、小嶋さんの横にいると邪気の無い笑顔が際立つと思います!
最近のPVをみても思うんですけど、たとえばからくりテレビに投稿されるような、アイドルの真似をして踊る五才くらいの女の子が、そのまま大人になったような邪気の無さが、りのさんのすばらしい魅力だと思います。
子育てをしているような大人がファンになってしまうのも、そんな所が関係しているのかもしれませんね。
大島さんもそうだと思うんですけど、今年は震災もあって、人一倍、人の気持ちを感じやすいりのさんにとっても、とても大変だったと思います。
さらには、高校卒業ということもあって、それまでの高校生的なファッションが一夜にしてコスプレに化してしまうという試練にも見舞われましたが、それを乗り越えて自らの在り方を確立して行ったことは、プロフィールの欄の可愛らしい写真に良く表れていると思います。
正直、大島さんの日記を読んでいる時に、たまにみる位のりのたその日記だったんですが、短い時間でもファンでいられることがとても嬉しいです。今年もどうぞ一年、明るく楽しくお過ごしください。
誕生日おめでとうございます!
今週はTPPの交渉での日本側とアメリカ側の認識のズレが話題になりましたが、その原因として、サンデーモーニングでの中西さんや、大竹まことさんといった人から、日本語が曖昧であるからではないかという指摘がありました。
しかし、私は言葉の問題というより、アメリカ側の交渉術に過ぎないのではないかと思います。
そもそもTPPはそういう縛りの無いものだともいいます。
また、上杉隆さんがいうには、内政懇というクローズな環境で記者クラブメディアに都合の良いことだけを話す故に生まれたズレだといいます。多分記者側の鋭い突っ込みとかは無かったのでしょう。
日本語を問題視するのではなく、制度を洗練させる方向や、言葉を使う人間そのものに注目することの方が問題の本質を突いていると思うのですが、どうでしょうか。
日本語といえば、司馬遼太郎さんの文章に「言語は人間の倫理の決め手だろうと思います。(中略)源氏物語は(中略)偉大なる文学ですが(中略)実にきれいな言葉ですが、主語が無い。」(「昭和」という国家 247ページ)とあるんですが、この中で二、三突っ込みたい所があって、まず、ここで前振りとして司馬遼太郎さんは源氏物語を褒めちぎっていますけど、氏は源氏物語にほとんどシンパシーが無かったと思います。
源氏物語を共感を持って引用する、というようなことは無かったと思いますし、大体貴族文化全般に関心が無く、むしろ否定的であった、といったようなことが子規を引用しての古今和歌集の否定や「公家と武家」(日本人の原型を探る 73ページ)といった対談から言えるのではないかと思います。
日本語に主語が無いことが、倫理的な面を規定しているというのもおかしいと思います。
「日本語」「主語」でぐぐると色々出てきますが、アカデミックな世界でもこういう論理で日本語を非論理的な言語だとするのは昔のことだともあります。
そういった考えを広げすぎているのではないでしょうか。
また、井上ひさしさんは、似たような意味で広島の平和記念公園の「安らかにお眠り下さい。過ちは二度と繰り返しませんから。」という言葉を主語が無いと取り上げていました。
しかしこういったことは、省略する側の意図によると思います。
日本語は話し手によって、主体的に責任を果すこともできれば、省略の美を発揮することも出来る言語だと思うのです。
また「ハラをなくした日本人」(高岡 英夫 (著))という本によると、最近使われなくなった身言葉には、人の能力や人格を洗練させる効果があるらしく、責任を取る力のようなものも上がるようです。
NHKの「にほんごであそぼ」の「からだことば」のコーナーは齋藤孝さんがその考えのもとに作られたようです。
やはり、切腹という形式は現代的には許容されないでしょうが、責任を果すという面において、本来日本にはとても優れた文化・伝統があったと思うのです。
それにしても、今週はブータン国王夫妻がいらっしゃいましたが、一番の印象を言えば、やはり尋常ではない品のよさに心を打たれました。
日本でこの心の美しさに対抗できるのは、、、と考えて、にわかに真っ先に浮かぶのは一人しかいらっしゃいません。
腰が痛いとも伝わる中、色々出張おつかれさまです。今週の蒲団をかける仕草も、とても素晴らしかったと思います!
皆さんも蒲団をしっかりかけて、くれぐれも、体調の管理にはお気をつけ下さい。
分割いたします。
コメント