出光美術館 日本の美・発見I 水墨画の輝き ―雪舟・等伯から鉄斎まで―

#その他芸術、アート

券を頂いたので、行って参りました。
保存状態が良い物が多くて、楽しかったです。シンプルな分、浮世絵とかより、良く残りやすそうですよね。
どうも全部、出光美術館所蔵の様で、中々凄いです。

岳翁蔵丘の「武陵桃源・李白観瀑図」が気に入った作品。上方のシダ植物が鬱蒼としていそうな湿り気と、滝の下の雲の上のようなカラッとした清凉さの対比が良かったです。武陵桃源の方も嫋々とした感じが平和でした(笑)

牧谿は室町時代から偽物がたくさんあったらしく、本物です、といわれて展示されると不思議な気さえするのですが「平沙落雁図」が遠くから見るとただの白紙にしか見えない、変わった作品。近づいて良く観ると、鳥と思われる点や、里と思われるような淡い染みが。これで村落のスケール感を出しているわけで、いかにうっすらした表現で、いかに多くの事を想像させるか、という所の限界に挑んでいるように感じました。一つの個性の極北といえそうな作品です。
同じく「叭々鳥図」も鳥が枝に留まっているだけのシンプルな作品。しかしじっと観ていると、鳥の筆致が右上から左下に向かう線で統一されて描かれているのに気が付きます。鳥の視線はその逆の左下から右上を向いていて、その流れの鍔迫り合い、視線の向こうの空間・存在感を感じさせる絵でした。いや、古典なので解釈しすぎてしまうのはあるんですけど、折角ですから(笑)
牧谿を相阿弥が写した「腹さすり布袋図」は極悪な表情が分かりやすいインパクト。しかしこんな極悪で構わないのでしょうか・・・(^_^:)

玉澗の「山市晴嵐図」は唐では輪郭がぼやけていて亜流とみなされていた書法で描かれているらしく、ここら辺の感覚に、日本が創造性を発揮する余地があります(笑)この展覧会の見所は、本家中国の存在感と、百花繚乱の日本の絵師達の個性との、境界にもあると思います。

長谷川等伯の「竹鶴図屏風」は、普遍的な情愛を身近な鳥の鴉で表現したらしく、その健気な親子の姿に目頭を熱くさせられます。この前テレビで、等伯が能登から京都へ家族で上京して来た話をやってましたけど、重ねない方が難しいです(笑)
竹はゆらっとしていて、松林図屏風の松のようで、もっと言えばキノコに見えました(笑)

焼き物では桃山時代の「朝鮮唐津花生 銘・猿」が頭に茶碗がくっついたような造形に、釉薬も落ち着いていて良い感じです。
北条早雲の「山水雁池図」は良くありそうな風景の、簡潔で無駄の無い描かれ方が印象的。早雲という人は、知るほど印象が深くなります。
宮本武蔵の「竹雀図」はスズメに覇気や明敏さが宿っていて、シャープな枝はフルートの音を思い出させます。武蔵の絵を見るのは初めてなんですが、武術をやっているつもりで描いていたらしく、構えない意味での緊張感が漲っています。

伝 宗達の「龍虎図」は見下ろす虎のかわいらしさと、龍のこれから昇って行きそうな雰囲気がお見事。
鈴木其一の「雑画巻」は絵手本のようですが、端然としていて、何気無いニュアンスですとか、中々真似のできない描き方かもしれません。

渡辺始興の「五祖・六祖図」は作務?をしている、ひょうひょうとした雰囲気に、身心脱落といった感じが出ているような気がしました。
富岡鉄斎の「仏鑑禅師図」は江戸期と棟方志功の中間のような線。写実性と抽象性の間で、剛直に揺れ動いています。「溪山図」もごろごろとした雰囲気が独特。山居俗をいやす、と書かれていて、鉄斎の雰囲気も感じられます。

紙と墨だけという一番シンプルな形に、ありったけの(多分)創造性を込めた作品の連続で、白と黒でここまで違う世界が連続することに、一等地味で鮮やかな驚きを覚え続けました。
水墨画の歴史も体感できて、良い展覧会でした。ありがとうございました。

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