「(ヤマトをたどって:5)幻の英雄が艦長だった」

(http://www.asahi.com/articles/DA3S11631025.html)の

「沖田とは、私たちが「空気」に呪縛される限り現実には持ち得ない、幻の英雄ではないか。」

の「空気」という部分は「保身」や「欲」と表現するべきだというのが私の持論。
https://shakaitsuugan.work/2015/05/19/54884501/

「煩悩」だとさらに哲学的でふさわしいです。

また、そういう風には書いていないのがどうかと思うのですけど、沖田艦長は戦中美化の肝ですよね。こんな人間はまずいないのですから。

日本しか出てこないことに関しても「(ヤマトをたどって:4)戦争のトラウマに向き合う」(http://www.asahi.com/articles/DA3S11629302.html)の

「ヤマトを「日本人にとっての戦争を総体的に捉える物語」へと深化させた」

という、自己を見詰めたんだという解釈は甘く美化されているように思います。

こういった所を含めて、かなり指摘が甘いのではないか、という印象。

直接的に「戦争美化」としないで婉曲な構成となっているのは、取材対象に遠慮してしまう「「空気」に呪縛」されているからではないか、と感じました。

特に大本営発表ばかりを繰り返していると多くの人に指摘されている朝日新聞の記者の人が、自社への言及無く読者へ向けて「「空気」に呪縛」されているとのたまう姿勢に嫌悪感を禁じえません。

また司馬遼太郎さんの日露戦争観は拙稿の

404 NOT FOUND | 社会通鑑~See through the media&society~

をぜひ頭に入れてから書いてほしいです。

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