この日本作曲家選輯の内で聴く事ができたのは数枚ですが、やっぱり玉石混交の感はします。橋本國彦が良くて結構感動しました。伊福部昭さんの世代には彼のみならず立派な音楽家が複数人居るのだな、と思いました。逆に感心しなかったのは別宮で、経歴は非常に期待させるものだったのですが、虚心に聴いて面白いと思った場面は皆無でした。勿論好みの問題では有りますが。
大澤はかねてより期待していて、余裕が出来たら真っ先に買おうと思っていました。帯の「時は二十一世紀、私の時代が来た!」は多分片山さんが書いたものだと思いますが、こういう文章は非常に好きです。私は感動症でたまに表現が先走ってしまって、それでは説得力が無いと思ってあとでいそいそと推敲するということが有るんですが、失礼ながらこのあおりにはその推敲する前の自文の芳香がして非常に親近感を覚えます(笑)
神風協奏曲は素晴らしい作品で感動しました。CD-Rでも焼きながら聴こうかと思っていたんですけど、音楽の力があんまり強くて引き込まれてしまい、シューリヒトを間違えてジューリヒトと書いてしまったり、ベートーヴェンをベートーヴェと書いていたりとあんまり失敗するもんですから、作業は諦めておとなしく集中しきって聴いてしまいました(笑)
一楽章は難解な(当時の)先鋭的な音楽に派手なメロディが乗っかってくる形で、音の津波と形容したくなる様な怒涛の迫力でした。
二楽章は一転湿り気の有る日本情緒を感じさせるメロディが流れ、涙を誘います。戦前のこの時期に西洋クラシックをここまで吸収して、自分の、大きく見れば自分達の、音楽を奏でたものだと違う意味でも涙を誘いました。現代の音楽家でここまで日本情緒溢れる素晴らしいメロディを書ける人は皆無なのではないでしょうか。
三楽章は一楽章がややパワーアップした感じで、ピアノの冴えは楽譜ピアニスト共にかなりのものです。
この音楽を聴いて思ったのは、結構今のピアノをメインで作曲する人が、ストリングスであるとかを電子的に被せたりして自分の曲を彩っていく感覚に近いのではないかということです。協奏曲というよりピアノを彩る為に一歩下がった所に管弦は居るようです。
ピアノを中心とした作曲家で有る事は次の交響曲第三番を聴くと更に浮き彫りにされます。
神風協奏曲は最高に素晴らしかったのですが、この交響曲はそれより二周りくらい傑作度が劣る感じです。どうも管弦が音符を刻みすぎてその本量を発揮していないんですよね。まるでオーケストラをピアノ的に扱っているように感じました。見事と言うよりうるさく感じるところも多く、魅力的な場面も神風に比べると少なかったです。
とはいえ、このCDを聞いている時間は非常に短く感じました。大澤の曲をこれからぼちぼち探しては聴いていこうと思います!
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