行って参りました。宇野先生の合唱のコンサートは行くのは6年ぶりくらいで、公演情報が掴みにくいのに託けて長らく経費削減の対象になっていたんですが、ブログのキーワードにさせて貰っていることですし、横浜まで行ってくる事にしました。
経費削減の対象にしておきながら言うのもなんなんですけど、宇野先生の合唱は合唱の評論界が場として成熟していないせいかそこまで話題になりませんが、その芸術性は冠絶したものです。リリー・クラウスが宇野先生宅にいらっしゃった時に、宇野先生指揮のKTU合唱団のレコードを聴きたがった、という話は余りにも有名ですが、それも当然と思わせる芸格があります。オーケストラの指揮よりもこちらを評価する人も多いでしょうし、私もその一人です。余談ですけど、KTUのCDは出ないのでしょうか。trefoglinefanさん、見ていらっしゃったら是非宇野先生に話を振って欲しいのですけど(^^;)
宇野先生の名演の一つに、最近CMにも使われた名曲である「落葉松」の録音がありますが、これは本当に見事で美しいです。あんまり良いので他の録音も聴いてみようと他の人が振った録音を聴いたことがあったのですが、殆ど感動しなかったので自分でもビックリしてしまいました。宇野先生の棒の魔術が非常に大きく録音に寄与していたことを初めて知りました。まったく宇野先生の合唱は破格の芸術なのです!
開演一時間半前に到着したんですが、まだ当日券の販売も始まっていないとのことで、公園で食事を摂って待つことにしました。おにぎりを食べていたんですけど、どこから嗅ぎつけて来たのか、鳩が集まって来るんですよね。私はえさをあげに来たわけではありません。ぽっぽ、ぽっぽと7羽くらいで囲んでは周囲を回っているので、すっかり困ってしまったのですが、丁度そこに子供が遊びながら駆け込んできたので、お陰で鳩が散ってくれて九死に一生を得ました。有り難い話です。
まだ時間があったので横の文教堂(本屋)でしばし品定めを。最近放送された「長寿企業は日本にあり」のシリーズが思ったよりも面白く、感動的で、色々回ってテキストを探しているのですが、ここにも置いていませんでした。きっと人気なのでしょう。近いうちに都心の大きな本屋に行かないと無くなりそうです。
また、面白そうな本があって、買おうかなと考えたんですけど、その本の元になった本が明治時代のものなので、いずれ青空文庫に登録されるのではないか、と思うと中々買いきれず、ずーっと迷っているうちに公演の入場時間が過ぎてしまったので、結局買わずに本屋を出ました。
会場に帰ってきてみると、人があんまり多いんで驚きました。パンフレットにも「最初はお客様が集まらず苦労をしたが」と書いてありましたが、6年前は余裕で入場して会場の中央を占めたんですけど、今回は会場の前には既に長蛇の列で少々ビックリしました。とりあえず券を買うために、当日券が欲しいのですが・・・とカウンターにいらっしゃった方に声をかけたのですが、まだ入場していない友達にカウンターから声をかける一般の方だったようで、逆にビックリされてしまいました。
会場はほぼ満員で客層は相変わらず宇野先生より年上なんじゃないか、という感じの人が殆どで、たまに同じ門徒ファンと思われる若者が5人位いたかな?といった所でした。
マエストロ・宇野がさらっと入って来て曲が始まりました。「新鉄道唱歌」は出だしの宮下さんのピアノが少々危なかったですが、無事始まりました。戦前の唱歌はリズムが独特で、特にこの新鉄道唱歌はそれが顕著ですので、今一勘が掴めなかったんだと思います。この曲実はカラオケに入っていたりするんですよね。やはりお年寄りの方とかは喜んで歌われたりするのでしょうか。いや、私は歌ったんですけど(迷惑)作詞は土岐善麿で、啄木マニアとしては嬉しい名前です(笑)フィオレッティは相変わらずの清明な声でテンポ良く歌っていきます。
今回のフィオレッティは以前よりも情緒的な表現力が増して来ている様に思いました。以前のフィオレッティがフルートだとしたら、今回はクラリネットに近接したものを感じました。いよいよ円熟してきて宇野先生の手兵らしくなって来たという事だと思います。
「悲しき子守唄」が心の籠り切った名唱で、歌い終わった後には自然に拍手が沸いていました。これは本当に非常な名唱で、終わる直前にもしかしたら拍手が沸くんじゃないかと、と予期させるものがあり、実際万雷の拍手でありました。しかし、一度曲間に拍手すると基準が上がるもので、しないとブーイングをしているが如き空気になってしまうんですよね。そういう訳ではないんですけど(笑)第二部からは全ての曲で皆さんが曲間に拍手するようになりました。
フィオレッティの生は本当に格別です。各声部の重なり方の美しさが半端じゃなく、普通に聴いていても自然に込み上げるものがありました。私は中央の一番良さそうな所に座ることが出来たので、そのお陰もあるかもしれません。
「愛国の花」は弱音の味が最高。宇野先生の弱音を聴いて思うのは、そこに様々なオーケストラの指揮者の演奏を吟味してきた末の、音楽の本質が刻印されているのではないかということです。ここは宇野先生の合唱の一番ユニークな所の一つだと思います。
「海の進軍」はピアノの転調の味が良かったです。ピアノだけの所では宇野先生はピアノに向かって指揮をして、煽っているのですが、振る度に宇野先生調の濃い表現になっていくように思いました。良く指揮芸術の意義を語る時に、ピアノに向かって振っても人によって音色が変わることが例に出されますが、こういうことなんですねぇ。
「大空に祈る」は悲しいメロディーが戦争の在り様を報せます。「御国のために死ぬ覚悟」と歌いつつもメロディーは悲壮で、作曲者に意図があるのかも知れませんね。批判されなかったんでしょうか。
「白薔薇の歌」はフィオレッティのハーモニーの透明さが最も生かされた曲目で、この世ならぬようで素晴らしかったです。
表現的に一番力が入っていたように思ったのは「フランチェスカの鐘」で、ブルックナー開始を思わせるような出だしからデリカシーのある音楽が一貫していて、高音部は宇野先生の言う通り器楽に到達している様に感じました。本当に高い芸術性を誇った一曲だったと思います。
ここで第三部が終了。宇野先生は「何か喋れといわれた」とのことで、ちょこっと話していました。何も準備が無かったのか唐突に「宇野功芳は私一人です」と言って爆笑を誘っていましたけど、これは要するに仏教用語で言う所の「天上天下唯我獨尊」ということだと思います。良く「○○(職業名)では無く○○(その人の名前)と呼ばれたい」という職業人がいますが、最早自分がその境地に到達したことを直覚したことによって、不意に出た言葉なのだと思います。永遠に対して答えを見出された宇野先生は現在、ムラヴィンスキーと同じ「全世界でただ一人という孤高」に身を置いているのだといえましょう。
それにしても本当に宇野先生は根っからの舞台人で、いづれ漫談の一席くらい是非やっていただきたいものです(笑)
第四部の最初は「熊祭り(イヨマンテ)の踊り」で、壮大な曲で迫力が有りました。独唱の方も表情の付け方が本当に上手かったです。
最後に持って来た「川の流れのように」は、宇野先生の十八番で本当に美しいです。歌い上げる美空ひばりと違って宇野先生のはテンポが速めですっきりしていて、まるで違う曲の様な愉しさがあるんですよね。宇野先生の細やかな神経とフィオレッティの混じり気の無いハーモニーが生み出した快演だと思います。
アンコールは「マロニエの木陰」と「南の花嫁さん」と「熊祭り(イヨマンテ)の夜」の三曲でした。最後の二つは客席からのリクエストなのですが、リクエストをするお客さんの元気なことといったらありませんでした。張りのある声で曲名が乱れ飛んでいました。若い頃に何気無く生活の中で聴いていたのだろう事を想像させます。宇野先生はそれに応えて顔の横に指を一歩立ててにんまりと微笑むことで、会場を笑わせていました。アンコールを促す拍手も会場全体で拍子が揃っていて、身内の集まりのような和気藹々とした雰囲気でした(笑)人の過去への郷愁を、繊細な表現への
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