世田谷美術館 特別展「平泉~みちのくの浄土~」展 世界遺産登録をめざして

#その他芸術、アート

行って参りました。
美術館の前に驚いたのは、世田谷美術館に行くまでの1.6㌔が緑に覆われていたことで、ああ、これが世田谷なのかと思いました。
鈴木大拙師が仰るには仏教の表象は泥の中に咲く蓮の花だそうで(秋月龍珉「鈴木大拙」p202)、これはつまりある意味、あんまり環境が良すぎると良く無い、ということなのですが(松原泰道「いろはに法華経」p115~123)、こういう所でのびのびとするのも楽しいかもしれません(笑)

道沿いに歩いていけば真っ直ぐ着くのですが、砧公園の中を歩いて行きたくなるのが、自然な欲求。しかしこれが結果的によくなくて、焼却所の周囲を迷っていたら、同じく迷っていた分別盛りの女性に、美術館までの道を尋ねられました。聞かれた瞬間に、風に対して角度を保っていた折り畳み傘が吹っ飛んだのは良いとして、僕も当然良く分からないんですよね。ので、二人で違う人に道を聞いて(から更に一回迷って)やっと、美術館に着く事ができました。平泉の仏像の加護を感じます。

展覧会で強調されていたのは、シルクロードの東端である、ということで、私としては浪漫を感じますが、国際的なアピールとしては微妙なのかもしれません(笑)別に良いんじゃないかなぁ、とも思いつつ世界遺産登録見送りは残念で、どうも石見銀山のときに政治力を使ったと思われているのが響いているとかいないとか・・・。キリスト教の東端の遺跡だったら登録されるような気もしないでもありませんし、なんといいますか。なにはともあれ、日本は欧米(中心)の評価機関と付き合っていかなければいけませんので、こんなことについて考えるのも、後々の肥やしになるかもしれません?

最初の方で豪華に出迎えてくれたのは「金色堂西北壇上諸仏」で「阿弥陀如来坐」が自然な姿。背後には、細かい唐草っぽい紋様が大きな光背全体に彫られていて、息を呑ませる美しさでした。
それにしても、何で光背があると綺麗に見えるのだろう、と思ったのですが、それは繊細で巨大なものをバックボーンに持っている人の美しさ、なのではないかと思いました。そうだとすればそれは、この国特有かは兎も角として、江戸時代以降まで続いている美意識のように思います。古典が好きな方には、こういうバックボーンを感じることが多いですねぇ(^^;)

守護するように、六体で取り囲む「地蔵菩薩立像」は、同じ様でありながら、みんな一体一体別の造りで、どちらのサイドも最前列に配置されたものが、一番姿が美しかったように思います。
この固いガードには、攻め込むことよりは攻め込まれることが多い東北の歴史を、私としては感じます(笑)

ここを抜けると仏像のフロア。仏像なんですけど、土俗信仰と交じり合った物が多く、何か不思議な仏像世界でした(笑)一番心に残ったのは「八幡三神坐像(男神坐像、女神坐像)」で、卵が三つ並んだ様で、根付のような慣れの艶が綺麗でした。ただ神と書いてあるのは、なんていう神か分から無いからだと思うんですけど、雰囲気的には座敷童の先祖のような感じです(笑)

「二天立像」は袖から流れる衣で動きの勢いが表現された、アグレッシヴな仏像。迫力がありますし、格好を真似すると、難しくも絶妙であることが分かります(笑)

東北らしく「毘沙門天立像及び両脇侍像」とか、着物が厚ぼったい感じの像が多かったように思います。21番の「聖観音菩薩立像」ですとか、彫り残されたのみの跡に文化的な違和感があって、直立した姿はさながらエジプト彫刻。埴輪が進化したような表情が怪しさの極みでした。

仏像以外では「黒漆剣 刀身(伝坂上田村麻呂所用・平安時代初期)」というものがあって、思わず、ほんまかいな、と言ってしまいそうな品ですが、どんなものでしょう(笑)直刀の姿は平安時代らしいのかも知れません。

浄土信仰の寺ですが、経典は手広く集めていて、ここにも金がふんだんに使われています。雰囲気的には、華厳経辺りが一番似合うかもしれません(笑)

道具類では「金銅孔雀文磬(経蔵堂内具)」の金具に描かれた孔雀が身の締まった感じで、魅力がありました。「磬架(金色堂堂内具)」は横にかけられた木の、無駄の無い柳腰な雰囲気に惹き付けられます。「螺鈿平塵燈台(経蔵堂内具)」は、真ん中が微妙にシェイプアップされた、一本の棒で、やはり似たような美意識に貫かれた、美しさがありました。
「中尊寺神事能 月岡耕漁筆」は明治の頃の雰囲気を伝える良い絵。屋根の上、杉のてっ辺の方に画面を大きく裂いていて、能が観客・自然と邂逅している様を見せてくれます。

本も色々あって「東方見聞録 複製」に書かれている「黄金の宮殿」は金色堂のことらしいそうで、ジパングといえば、なんとなく金閣寺が頭に浮かぶんですが、良く考えれば時代が違います(笑)

最後は色々な伝統行事の映像があって、みちのくの人の生命力を感じます。
なかには京都の風習を模した物も多く、川に船を浮かべていたりしました(有名)。平泉の寺社群も、京都に対する文化的なアピールだったとも言いますが、戦乱で失われた命を供養してるんだと言われると、それも説得力があります。信仰的にもごった煮的な所がありますし、舶来品も豊富です。利休の茶の湯とか、見事な文化の成立には色々な理由・要素があるもので、平泉もそういう中の一つなのだと思います。

平泉の文化的なユニークさ、美意識の高さに、魅惑された展覧会でした。展示品も人も、遠くからおつかれさまでした(笑)
帰りもちょっと迷ったんですが、それも含めて楽しかったです(笑)

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