神道というのは重要なんですけど、自分の中ではあんまり知識を入れたく無い様なところがあります。入れれば入れるほど遠ざかるのでは・・・夢中問答集には、伊勢太神宮の禰宜(神職)の言葉として、胸中の名利を持たないことを内の清浄という、とあって、それ位の認識で良いのではないかと思います(笑)最も、おみくじを売るようになってからか、神官の方がこういう事を言っているのは、あまり聞きませんが。
とはいえ、民俗的な部分は事実ですので、そういうものを体感してきたいと、行って参りました。
天皇以外の参拝が許可されるようになったのは、中世以降なのだそうです。
「伊勢参詣曼荼羅(両宮曼荼羅)」を観ていたら、伊勢神宮に研修に行ったことがあるという人が、周囲の人に解説をしていました(笑)
三重から富士山が見えるとか、鳥居は内宮→外宮→桑名神宮と20年づつ60年使うとか、内宮は太陽で外宮は月だとか、食料や実権は外宮が握っていて、外宮にしかお参りしない時代があった、とか色々聞かせてもらいました(笑)
「薬師如来坐像」は定朝様式の雰囲気がする、平安の仏像。滅茶苦茶安定した美しさと、整った中に文明の香りがします(笑)
「陶製経筒」は神官の仏教信仰を示すものらしく、神道は何も語らないので、色々不足を感じることも多かったかもしれません(笑)(そこが良い所ですが)
「金銅火焔宝珠形舎利塔(伊勢舎利塔)」はこれも燃えている塔で、舎利塔の良いものを観ると、むせるような感覚があります。観ると自然にむせてきます(笑)
刀は二口あって、「太刀 銘 吉信」は大きめで堂々としていて、野趣が感じられます。
「太刀 銘 次家」は神韻縹渺。凛然とした細い古刀です。
「玉纏御太刀 附 平緒、鮒形、太刀袋」は宝石をちりばめた、凄く豪華な刀。昭和は豊かだなぁ、などとぼんやり観ていたのですが、豊かというより、センスが西洋のそれに近づいただけではないか、とはっと気が付きました。
アドルフ・フィッシャーの「明治日本印象記」には、「宝石には日本人は大して金を出そうとしないし、女性ですらあまり高く評価していない(私は彼女たちのそうした考えは、大変価値あるものと思う)」(86ページ)と褒められているのですが、こういう気質はこの頃までにかなり失われてしまった、ということでしょう。
ガリヴァー旅行記のフウイヌム国のヤフーの話をあわせて思い出すと、薄ら寒くなります(笑)
刀の形は直刀。天皇家の時は最盛期の平安時代で止っているようです。
「須賀利御太刀 附 平緒、鮒形、太刀袋」も同じく豪華な、柄に朱鷺の羽を使った刀。朱鷺のピンク色は、何故か神話時代を想起させますよね。
衣装では「倭文御裳」がアイヌのもののような渋い柄で、一番気に入りました。
「鵄尾御琴 附 琴柱、琴軋、錦袋」は中国の十三絃の琴に対して、日本の伝統的な六絃の琴だそうで、日本は六絃なんですねぇ。
最後は神像がずらずらっと。
室町後期以降、天皇及び神道の権威が急速に失墜したそうで、鎌倉ごろまでに作られた像が多いのはそのせいかも知れない・・・とも思いましたが、展示してはいませんけど、作り直したりしているそうで、そこら辺は分かりません(笑)
最後の年表には戦時中に天皇が極秘に戦勝祈願に来ていた事が書かれていて、伊勢神宮にとって誉だったのだと思います。
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