太田記念美術館 大江戸ファッション事始め 後期

#その他芸術、アート

それにしてもやはり最近テレビで気になるのは風評被害という言葉ですね。最近では小出教授が地上波に出るようになってきましたけど、その基準によれば多くは汚染されているはずで、根拠がないという風な風評被害という言葉はいかにもおかしい。
原子力村被害と言い難いのであれば、せいぜい原発被害位にしたらどうでしょうか。

この言葉遣いは原発事故の本質を隠蔽する上でまことに大きい、と思います。そのたびに風評であると刷り込ませるのですから。
政府がちゃんと計って、流通を管理し、その後に東電が資産売却をして最大限買い支えるべきです。
私も申し訳ないんですけど、しばらくテレビに向かって、麻衣ってだれ、、、、とつぶやいていたものですが、テレビに対してのツッコミをどうしても欠かさないのが、とても重要なことだと思います。

後期も行って参りました。

江戸のファッションといえば「粋」という言葉に代表されます。
九鬼周造の「「いき」の構造」という本によれば、粋の三つの特徴は「媚態」「意気地」「諦め」だそうで、後ろの二つは精神的なもので、無の積極的側面(真空妙有)と無そのものを表すように読めそうなので、同じものといっても差し支えないと思います。「意気地」と「諦め」は「道徳的理想主義と宗教的非現実性」(29ページ)と書かれているので、儒教と仏教ともいえるのかもしれません。
つまりファッション(媚態)と精神性の融合が粋というものの特長といえます。

私が思うにこの本には一節、ポイントとなる所があって、「我々は趣味が道徳の領域において意義を持つこと疑おうとしない。」(岩波文庫 86ページ)という所ですね。

道徳というと現代でいうと手垢がついたイメージがありますけど、ここでは本来の徳の用法に近いもっと根源的な意味。現代でいう精神性というほどの意味であろうと思います。

その人の精神性が表れる所として、ファッションというものを競っていた。その競い合いの先に、現代の和服や浮世絵の絢爛な世界の中に観られる、日本のファッション文化が成立したわけです。

ここで「我々」という言葉を九鬼周造が使っているのは、比較思想家としての面が表れているんだと思うんです。
わざわざこういう事を書くのは、近代ヨーロッパにおいて、芸術性と人格のこの二つは別なものとされるのが普通だったからです。
たとえば現代の音楽評論家のなかでは吉田秀和が代表的ですけど、この人は芸術性と演奏家の人格は別である、ということをかなり強く主張するんですよね。それは吉田秀和という人が、近代ヨーロッパ(っぽいもの)を評論の一つの軸足にしているからだと思うんです。

前に司馬遼太郎さんと書道の話をしましたけど、

サントリー美術館 美しの和紙-天平の昔から未来へ- 第5展示期間
行って参りました。「東大寺修二会(お水取り)椿の造り花」はやはり、一輪ほどのあたたかさ、というと平凡ですけど、そういうシンプルな美しさがある造花。「紫紙金字金光明最勝王経巻第三」の紙質も、濃い茶色が有機的で、記憶に残りました。そ...

こういう芸術性と精神性が不離不即である、という価値観を戦後は特にどんどん捨てていったわけです。
最近、許光俊と片山さんが対談をしていて、たしか片山さんが演奏の良し悪しはあるという事を認めよう、ということを盛んにけしかけていて、許さんはスルーしていましたけど、氏は「クラシックCD名盤バトル」のまえがきで「名盤」という言葉は嫌いだといっており、絶対的な評価軸は存在せず、結局すべては相対性の中にあるということを書いています。

ムラヴィンスキーは人を駄目にする圧倒的な音楽、と一個人のムックで書いていましたけど、音楽の内容と人格を、この人も切り離して考える。そこに相対的な考えが生まれるのだと思うのです。
その人の人間性に応じて、音楽の内容が良くなるという考えが無いんだと思うんです。ムラヴィンスキー自体は謹厳な人で、そのある種の精神的な迫力が確かに演奏に乗り移っていて、これが人を駄目にする音楽だとは僕は思わないのです。

江戸っ子は人をみて、粋かどうかでそのファッション・人格の優劣をみていました。
一方で今のヨーロッパはどうかといえば、例えばアリスたそのこのたびの震災者へのメッセージ。
「音楽には、今の世の中ではなかなか見つからないとても貴重なもの、愛情、希望、そして謙譲の心があります。私たち音楽家には、この大切な宝を広めていかなければならない使命があります。」(ホームページより)
とあって、つまりアリスたそは芸術と人格というものを直結したものだと認識している。これは江戸っ子と同じです。つまり日本は二百年遅れなのです。先ほどの片山さんの対談は、日本の評論家の一部がその遅れに気が付きつつあることの表れといえましょう。

粋というのは、戦前から戦後にどんどん捨てられた、日本固有の優れた思想だったのではないかと思うのです。それを取り戻し、競い合うことで、世界の中での日本の芸術の存在感、人柄の見事さ、といったものも旧に復して更に先に進むことが出来るだろうと思うのです。

また吉田秀和氏といえば、新聞に人災がどうこうとちょこっと触れていましたけど、今回も前回も確かに人災ではあるのですが、むしろ人災だと知りながら、その人災を引き起こしている人を果敢に正面から攻撃しなかった人に引き起こされた人災であると言いたい。

自分の耳で聞いて、本音で語り、自分を賭けて時に当って砕けるのが真の音楽評論だと思う。
ヨーロッパっぽくは作っているけど、そういう自我をまるで感じさせないと思います。
この二つは、どちらも自分が賭けられていないという点で、同じなのです。

今回の震災でも、政官財マスコミ学界の中に、自分を賭けて行動する人ばかりがいたら、このような被害は避けられたのではないでしょうか。次の世代で改善すべき、戦後の悪弊の一つだと思うのです。

鳥居清忠の「髪すき図」では遊女の部屋に達磨図が飾ってあったんですけど、そんなものなんですかね?
奥村政信の「客待つ遊女」は待ちぼうけをくらっているらしく、添えられた歌は「狩人の 来ぬ夜身にしむ 秋の風」。周囲で無邪気に遊ぶ禿が、寂寥感を醸します。ぜひアリマリと上海人形で再現できる方がいらっしゃったら、描いて頂きたい(笑)
芭蕉みたいな、素直で季節感がある歌ですよね。

広重の美人画が結構たくさん出ていて「東都名所 両国すゞみ」をはじめ白とか茶といった地味目の衣裳が多いです。それでも変化があって種類は豊富です。この三連の美人図が広重の一つの得意の様で、更にこの作品では、五十三次頻出の風の表現、ゴッホに影響を与えたという暗夜表現を加えて、その中でも佳作になっています。同じく「隅田堤闇夜の桜」は桜を描いているのに、全て暗夜でシルエットという広重らしい華やかさ。

一方、国貞の「十二月の内 皐月 生花会」は極めてど派手で、元禄的。
「「いき」の構造」で渋くていきな歌麿の対極としてけなされているのが派手な国貞で、当時から現代までの一貫した評価の低さを感じさせます(笑)
浮世絵には、歌麿・広重的な路線と国貞・(英泉)的な路線があるのかもしれません。

渓斎英泉の「新吉原年中行*(又の上に吉という字)」のど派手な帯びの花は飾りを縫いつけたものらしく、造花なのでしょう。

春信の「三都太夫揃」は数人の男女の立ち姿ですけど、男女の身長がほぼ同じなんですよね。現代ではドラマでも何でも、男のほうが身長が高い方が画面のバランスが良いように捉えられていると思うんですけど、良く思い返せば、浮世絵からそういう美意識を感じることは無い様な気がします。

奥村政信の「二人虚無僧」は当時の好まれた画題ということで、虚無僧が描かれているのですが、衣裳が非常にど派手。今虚無僧をやっている人がいないので、よく実体が分からない感じですね。今調べたら半僧半俗だそうで、そこらへんも普通の僧侶と違う所なのかもしれません。
当時は大工さんがいきだということで、非常に人気があったらしく、虚無僧も何か江戸っ子の精神に触れてモードになっていたのかもしれませんね。

春川春湖の「橋上の行交」は男の頭の上に雷よけのお守りだという、立て札のようなものが刺さっているのですが、これが当時の最新ファッションだったそうです。女性が振り返ってみています。

二代歌川国貞という浮世絵師がいるらしく、「源氏絵」では女性が背中に白粉を塗っています。当時は背中にとても気を使ったのだそうです。
二代歌川豊国の作品も珍しく、「風流東姿二支 子」は刀を持った女性。

喜多川歌麿は後期にも「針仕事」が出ていて、女性の針仕事が好きだったんですかね・・・!?

この日の明治神宮は人が極めてまばらで、それでもたまに中国語が聞こえて来るのですが、普段はほとんど観光客だったんでしょうねぇ。みなさまぜひぜひ日本へおいでませ!

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