太田記念美術館 没後150年記念 破天荒の浮世絵師 歌川国芳 前期:〈豪傑なる武者と妖怪〉

#その他芸術、アート

行って参りました。

それにしてもやはり、みんなうんざりしているのは節電の報道でしょう。
足りている、といっている人はそれこそ腐るほど居ますけど、その話題はテレビでは極一部で触れられるくらいで、大手マスコミは俎上にも載せないんですね。

万が一足りなかったとして、夏までに太陽光パネルを沢山並べれば解消されるという話もあったはずで、説得力を感じたんですが、そういう方策を採らなかったことは、誰の責任において行われなかったことなのでしょうか。
そういうことを追及しなくて良いのでしょうか(いちおういう)

なかなかすっきりと批評の俎上に載せにくいものですが、「やらなかったこと」を追及するのが「嘘」と並んで、非常に重要なことになっていると思います。

SPEEDIも同じで、さっきNスペでお茶の汚染をやっていましたけど、あのメカニズムなら、少し袋を被せれば防げたはず。わかりやすい経済的なところから、責任を問うてみたい気もします。

接待旅行の過去から抜け出して、「やらなかったこと」を内外に問うのが報道、そしてそれをみる私たちの役割ではないかと思います。

この日は北斎を上回る人出じゃないかという感じで、「奇想の絵師」の一人としての人気の確かさを感じます。

古本屋に行って、新潮芸術のバックナンバーをゲットしたりするんですけど、展覧会は何年か周期で似たようなのが回ってきたりしますので、特集も周期的に回ってくるのですが、その特集の文句にその芸術の時代での受容のされ方が表れているようで興味深いと思います。

例えば冷泉家の特集ですと、「『 芸術新潮 1997年9月号』 特集 冷泉家サバイバル800年」とのことですが、このタイトルは最近の「芸術新潮 2009年11月号 特集:京都千年のタイムカプセル 冷泉家のひみつ」と比べるとちょっと武張った感じで、今より伝統が伝統であるというだけで存在し難かった時代だったのではないかと思うんですよね。

そういう雰囲気が伝統美術界を覆ってたときに、ちょっと凄い感じといいますか。本物の絵師達の中で特にフォルムの面白さで勝負できた絵師たちが「奇想の絵師」なのだと思います。
そろそろまた普通に春信あたりも人気が出てくるんじゃないかな~。

「通俗水滸伝豪傑百八人之壱人 浪裡白跳張順」によると国芳は素潜りが得意だったようで、豪傑が水門を破壊している絵。
心が美しい人は、水辺にいたり、泳ぐ格好もとても美しいです。カメラをとっても素晴らしいです!

「武田伊奈四郎勝頼」は歌舞伎の本朝二十四孝より。「為朝弓勢之図」ですとか「讃岐院眷属をして為朝をすくふ図」は馬琴の小説が元。今でいえばラノベ同人作家っぽい位置かも?!浮世絵師の中でも同時代文化を抜きに理解し難い人のような気がします。

「龍宮玉取姫之図」は蛸や亀・蛙・蟹・烏賊といった海鮮が海戦をしています。これや「讃岐院眷属をして為朝をすくふ図」は盛り上がった白い飛沫、暗い飛沫が絶妙な効果を出していて、どうやって刷るんですかね?

「建久四年源頼朝富士牧狩之図」は狩の図で、浮世絵一般には少ないそうですが、国芳の絵の中には狩のものが他にもあります。肉食系?

「源頼光の四天王土蜘蛛退治之図」は取り締まられたものたちをお化けとして出演させて、天保の改革を非難したという有名なもの。
しかし 「開国への道 (全集 日本の歴史 12)平川 新 著」によると、水野忠邦の改革は実際に物価を下げる効果があったそうで、見直されているようです。この本によると、株仲間の利権を擁護する遠山の金さんと忠邦が争いを続けるのですが、この筋でどこか時代劇をつくってみますかね(^_^;)

江戸時代では他にはこの前、磯田道史さんが週刊誌で綱吉名君説を語っていましたけど、見直されているようです。最近では幕末の外交はよくやった、ということになっているみたいですし、田沼はもとからとして、柳沢吉保まで見直されているようです。
荻原重秀といった人まで見直されているようで、これは要するに江戸時代が見直されているということでしょう。

歴史家でも従来は昔の人はあほだと思っていた人が多かったと思うんですけど、あほなのは現代人だと申し上げたい。
幕末は尊皇攘夷が吹き荒れたファナティックな時代だといわれていましたが、「開国への道」によると、それには列強を恐れさせて寄せ付けない効果があったらしく、結局は他国と違って植民地化を免れたそうです。
それと当時の歴史を振り返って感じるのは、西洋列強とまともにぶつかっては勝てない、という武家の冷静な判断で、これを第二次大戦やこのたびの安全神話の絵空事と比べると一目瞭然です。当時の人たちは空論、面子や内輪の利益より、現実を優先したのです。

「相馬の古内裏」は巨大な骸骨で有名な西洋の解剖書から影響を受けた作品ですが、暁斎とかこの前の一信とか、死体を観察しにいって絵を描いていたというんですよね。骸骨とか直接見たりしなかったんですかね?

「見立東海道五十三次 岡部 猫石の由来」は巨大な化猫が覗いていて、注文の多い料理店の世界です。

「四代目中村歌右衛門死絵」は清盛を演っているらしく、かなり凄絶。

「達男気性競 金神長五郎」はNHKの「よみがえる幻の色」で特集されていた作品ですけど、やはりこちらは見事に褪色しています(^_^;)あの特集はかつての浮世絵の和紙一つとっても現代では生産技術が途絶えてしまっていることを伝えていて、衝撃的でした。

今回の呼び物の一つ。「国芳芝居草稿」は役者の動きのラフスケッチ。国芳版北斎漫画とでもいうべき内容で、顔が無いのが惜しいですけど、かなり優れた内容を含んでいる作品だと思います。

肉筆画では「曽我五郎」が簡素な馬に乗った図で、肉筆なら躍動感を表すのに線の一本があれば十分かもしれません。
「助六の出端」もまた簡素ですけど、この前傾した低い姿勢の美しさで、かなりのことが語れていると思います。

地下の作品は掛けてあるほかに上から吊り下げてあったんですけど、地震対策でしょう。いつもでしたかね?

「日本奇人伝」は国芳が同僚の浮世絵師たちを描いたものですが、英泉の遊び人っぽい感じが良く描けています。

「義士四十七人良黒橋引取之図」は忠臣蔵展にもあった、大石が旗本にお辞儀している図。通常の殺人との内面性の違いが、腰の低さに強調されて込められています。
この前関羽信仰をウィキペディアで調べたら、忠義の士だったので権力者にとって都合がよかったので祭り上げられた、と書かれていて、なるほどと思ったのですが、それだけではない大切なものが香って来るのも、忠臣蔵と同じではないかと思います。

「勇国芳桐対模様」は一門で山王祭へ繰り出した思い出を描いた三枚続き。画幅全体に、涙が出るくらいに懐かしさが詰まっています。
「月岡芳年画 歌川国芳肖像」は今回も出品されていましたけど、こういう師匠なら是非とも肖像画を描きたくなります。
「五姓田芳柳画 歌川国芳肖像」は同じく十三回忌の明治6年にして、しっかりした洋風の表現で描かれています。やはりやろうとすれば、すぐに描けたのではないかと思います。

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