国立西洋美術館 大英博物館 古代ギリシャ展 -究極の身体、完全なる美 その4

#その他芸術、アート

王座戦は渡辺竜王が勝ったみたいですね。
この棋戦で羽生さんが負けるのをみたことが無いくらいで、三タテで終わってビックリしました。ねじりあいで負けたのが多かったので、力が及ばなかったのか、という気もします。

さっきさらっと見たんですけど、一局目の7六桂とぼろっと取らせて勝ったものや、三局目で5八金と引いて取らせて、形を整えた手がなるほどと思いました。

全日空の事故は運転手についてはどれほどの過失かわかりませんが、発表が遅れたのは、スピーディと同根で、そこら辺を責任を取るなり重くみてもらいたいと思います。

小沢の秘書の裁判はどうも無理筋みたいで、大手マスコミが作り上げてきたストーリーに沿ったもののようですね。なので、有識者のコメントを聞いて紙面に載せることはできないとのこと。
検察をヨイショする、まさにずぶずぶの関係で、村という言葉では表現しきれない、大きな腐敗を感じます。

小沢の苦境を現政権を覆す希望ととってしまうと、彼の手腕からいって歴史が進むことは無いだろうとおもいます。
ここはこの二つを分離して、司法・マスコミの腐敗を徹底的に衝くのが正しいのではないでしょうか。

あと、陸前高田の松がどうという報道がありますけれども、どちらにしろ、東電や原発に携わった人たちの声をマスコミがとってこないのは疑問だと思います。
あらゆる問題において、少なくともユッケ問題の社長以上に追い掛け回すべきだと思うのです。

加えて、確かめようが無いので、立場がしっかりしている人はいい難いと思うので私が言うのですが、最近のテレビの原子力に関する街頭インタビューは、東電や原子力村に対する怒り声を切り捨てて放送されているのではないかと思います。

まさに広告の力が物をいう、わかりやすい拝金主義だといえるでしょう。

山口県上関町長選で原発推進派の柏原重海氏が3選されたのも、今日の夕方のテレ朝のニュースで良くやっていたくらいで、ほとんど報道されません。
隱密行動といいますか、原発推進と脱原発派という争点すら浮かびあがらせないで現状を維持しようという力が働いているとしか思えません。

それと、湯川れい子さんのラジオの放送は衝撃的でしたね。

原子力委員会の委員をなさっていたそうですが、脱原発派で嫌がられていたそうです。
内閣府に問い合わせても、議事録もいたという記録すら抹消されているらしく、記録を残さなかった人の責任を問わなければなりません。
これも政治の仕事ですね。

脱原発派になると山本太郎さんのように兵糧攻めなのだそうで、それにめげずに脱原発の歌手の方が増えたら良いですねぇ。

こういう人は筋金入りの脱原発なんですけど、例えばやはり上杉隆さんはどうなんですかね。
立場を表明なさっているのを聞いた事が無いのですが。事故以降も過渡的なエネルギーとして容認派なんですかね。
行間から、抑止力として持っていたら良いと思っているのでは、という雰囲気すら感じられるのですが、どうでしょうね。飯田哲也さんによれば、その議論に乗ったとして、抑止力にするにしても原発は要らないそうですが。

私は原発については良く知らなかったんですけど、震災のちょっと前にラジオで「原発は時代遅れの戦艦大和」といっているのを聞いて、裏を取ったらブログのネタにしようと思っていた矢先でした。
今思えばあれは飯田哲也さんでしょう。私が迷い無く脱原発の議論を展開できるのも、あのラジオの余徳です。

立場を表明しない批評といえば、日本人で自分の感性でクラシックを聴いている人に対して、クラシックが西洋の芸術であること踏まえていない、と批判する人がいますが、

日本人が自分の耳で聴いている

という聴き方以外には。

①日本人だが、耳が完全に西洋的になっている。
②耳は日本的(な所が残っているの)だが西洋人ならこう聴こえるだろう、と修正を加えながら評論を書いている。

の二つくらいしか思いつかないのですが、こういった立場を表明しないで、日本人として素直にクラシックを聴いている人を批判するのはフェアではないのではないでしょうか。
どちらか立場を表明したうえで、その方が優れているという議論を論理的に展開するべきだと思うのです。

それにそもそも、クラシックの昔の作曲家は、ラモーのようにフランス的な音楽を追い求めた人もいますが、モーツァルトにしてもドビュッシーにしても地域的でありながらも、普遍的な音楽そのものを追及していたといって良いと思います。
そしてそういった動きは現在拡大しているのではないでしょうか。

「赤像式ヒュドリア」は人を寄せ付けない為にゴルゴンの頭部がかかれているらしく、日本の鬼瓦みたいな発想です。

人を寄せつけないといえば、りのさんの梅干飛ばしは人を寄せ付けない迫力がありました!

それと、ちょっと前の番組のインタビューのコメントを当てる回は面白かったです!地味で視聴率は上がらないのかもしれませんが、こういう感じなら安心してみられます(^_^;)
×ゲームがあると、物はもったいないし、気が気じゃないですからね、、、(∩_∩;)P

やっぱりりのさんは言葉を使っていくのが、とても上手いと思います(^_^)。ここは思い切って、土田さんの良さを引き出すぐらいの気持ちで、場を盛り上げてみてくださいね。

・・・と思っていたんですけど、終わってしまいましたねぇ。りのさんが悲しいと、僕を含めてみんな悲しいと思いますので、あんまり悲しまないでくださいね。

髪型は、和風美少女りのたそが~、と思って一瞬ドキッとしたんですけど、染めてみるのも良i…….やっぱり黒髪が良いです。
大島さんっぽくて、とても綺麗だと思います。

風邪は引かないようにお気をつけくださいね。

今回の目玉のミュロン原作の「円盤投げ」もローマ時代のコピー。本物のギリシャのものは、戦争で溶かされたり偶像崇拝で破壊されたりして、残っていないのだそうです。

金属供出は第二次世界大戦時のイギリスとか、日本以外も結構やっているんですよね。

やはり流石のリアリズムで大きくて迫力があります。急所は折れて無くなっていました。

折れてしまったといえば、台風の被害を受けた梨ですが、心が美しい方が被災地に来られると、天使が舞い降りたようで美しいものです。

腰痛?はおだいじにして下さい。腰痛体操はたくさん知っていますが、症状にもよりますし、実体験から確信を持って勧められるものはありません。
腰痛は心労から来ることも多いと聞きますので、毎日をリラックスしてお過ごしくださいね。あと、足先など末端をほぐすものは毒にならないと思いますので、適当にほぐしてみてくださいね。
おだいじにしてください。

次はオリンピアに関する展示で、似たような地方規模のものもたくさんあったのだそうです。中国ツアー・・・じゃなくてギリシャを旅行した人がいたらしく、色々記録が残っているみたいです。

「古代ギリシャ人はあらゆる面で非常に競争的であった」らしく、オリンピアは軍事教練であって、肉体が内面を表すという思想のもと、内面性を誇示する場であったそうです。

拳闘を描いた壷の解説によると、実際にはあんこ型の人の方が強かったんですが、締まった体の方が理想とされたらしく、外面的な肉体美でもあったと思います。

日本のスポーツ教育といえば、武道必修化の計画が進んでいるみたいですけど、武道は近代成立であって、あの日本独特の様式美と思われている礼法は、実際に過去を遡ってみると同じ様なものが無いものであって、やはりかなりの程度軍隊の影響が入っていると思います。

また木村政彦が若木竹丸の影響を受けていたことは知られていますが、鍛錬の体系の中にも、近代的なものが入り込んでいると思います。なので日本伝来の武士が実際によりどころとしていた武術、としての身体性は体系の中からかなり失われてしまっていると思います。

なので出来れば現地の古流武術を教えるべきだと思うのですが、そうすると安全基準など、指導の統一された規範が難しいですし、全ての古流が昔の姿を伝えているわけでもありません。

黒田鉄山さんによると、むしろ自分たちのように昔のやり方を守っている剣術流派は少なく、胸を張った形に変わってしまっているのだそうです。

それでもやはり最大限古流を生かす「武道必修化」がより勝っていると僕は思います。

第二次大戦で戦争遂行に協力した、ということで武道はGHQに禁止されましたが、実際に人を均質化して動員させることに、隨分役にたっていたと思います。
そういった事を避けるためにも、古流のヴァラエティは貴重だと思いますし、もし再び人を均質化して動員することが武道必修の目的ならば、それは止めるべきだと思います。

スポーツといえばこの前の「ニュース深堀」のスポーツ特集は面白かったですね。
日本の子どものスポーツの流動性の低さ!
みんなが色々なチームに所属している為、補欠の学生が応援している、ということはブラジルではないのだそうです。
学校単位でしか出られないのが非常に問題のようです。
地域が主体となって楽しんでやるのが主流のようです。これを楽しむ者に如かず、ということですね。

いじめ問題なんかもそうだとおもうんですけど、学校の流動性を増せば状況が改善しそうな問題は多いと思うんですけど、それをやらないのは、管理が目的だからではないでしょうか。

本質はスポーツではなく軍事教練をまだやっているということではないでしょうか。
甲子園のマネージャーは専業主婦だと思います。

松尾さんの、日本は一つしかやらないのをよしとするから、というのは牽強付会ではないでしょうか。
江戸時代は武芸十八般といって18種目やっていたわけですし、文武両道は日本の言葉です。百姓もかなりそういったことをやっていたようです。
スポーツ文化の導入の仕方を間違えて、そのまま停滞しているのが実情ではないでしょうか。

玉キングはいつも非常に良い事をいうんですけど、議論が長引くと熱くなってはちゃめちゃな事を言い出す時があるんですが、今回はそこまで行きませんでしたね(^_^;)

日本のスポーツ文化を考えた時に、甲子園のシステムを改善させるの急所だとおもます。
まったく関係ないように思えますが、脱原発を達成する頃に、そこら辺の殻も破られるのは無いか、という気がしています。キッチュでマッチョな日本の変わり時だと思うのです。

再び分割いたします。

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