国立西洋美術館 大英博物館 古代ギリシャ展 -究極の身体、完全なる美 その6

#その他芸術、アート

テレビで国内のウォール街に抗議するデモについて、百人の規模でも放送していましたねぇ。
報道特集で一方の脱原発デモについて、参加者五十人にマスコミ五十人といった状況で疑問を感じた、といっていましたけど、しゃあしゃあとこういことがいえるのは、やはり広告費漬けの拝金主義や中国ツアーでおかしくなっているからでしょう。
報道するべきものを報道していないのではないでしょうか。

格差といえば新自由主義。新自由主義といえば小泉内閣ですけど、上杉隆さんは「上杉隆の40字で答えなさい  ~きわめて非教科書的な「政治と社会の教科書」」では小泉政権の時に「景気は上向いてきたものです。」(218ページ)と書かれているんですが、小泉政権の間に輸出入は減少し、日本の競争力は激減しました。
しかも会見を解放することもしていません。

上杉さんは総じて小泉に良い評価を与えていますが、私からみるとアメリカの年次要望書をこなしているだけではないかと思うのです。プルサーマルに対して批判していますけど、プルサーマルを推進した小泉内閣を批判しているのは聞いたことがありません。

どういう結論になるにしろ、そこら辺を正面から取り上げて論じることが必要で、それを省略するのは良くないのではないかと思います。

とはいえやはり、震災での初動の動きは抜群だった。
以前から指摘されていたマスコミの問題の延長として考えることは、一つの急所だと思います。

震災以降に特に脚光を浴びた人は他にもいますが、小出さんは未だに、汚染されていても大人は食べるべきだ、と仰っているようですねぇ。
汚染された食物を流通させたとして、外食・中食・給食といった中で子どもを本当に守れるのでしょうか。親が気にしない人だったらどうなるのでしょうか。
また、観光・輸出を含めて、海外の方の警戒感を招かないでしょうか。

「東京電力を免罪しているわけではありません」(小出裕章が答える原発と放射能 111ページ)、と書かれていますが、結果として免罪し、補償を低減させてしまっているのはないかと思います。

関西の汚染を強調される一方、汚染された食物は食べろという。子どもに対する基準値を教えて欲しい、というラジオの番組でも、基準値を示されませんでした。
真ん中が抜け落ちていて、その結果社会的な提言力が弱いのが、社会の損失だと思います。

思った事をいえば、放たれている後ろ向きオーラがりのたそに数倍するほど強烈で、社会のリーダーとしてはここらへんが惜しい所です。
とはいえ長年の活動は忍耐の極みでしたし。現在でも最も原子炉について信頼できる方でしょう。

対照的に、私は飯田哲也さんのあっけらかんとした性格が一押しなんですけど、この人いつも、何か悪いことがあると前近代的というんですよね。

うわべだけですが、原子力村の人でも近代に対する疑問とか、もっとそういう事をいうと思うんですけど、飯田さんは仰らない。多分異端であるが故に異端になれない様なところがあるんじゃないかと思うんですよね。科学的ということでいえば、進歩史観を見つめなおしてみた所にも、真実があるのではないでしょうか。

また、ギリシャ危機が本格化していますけど、そもそもギリシャを入れたのはユーロ拡大を急いでしまったことであり、もう一つは前に引用した「ヨーロッパの歴史は中世(以下略)」といった心理が働いていたからだと思います。
ギリシャの古代文明に対する意識が、EUへの参加をたやすくさせた面は否めないでしょう。
杉山正明氏の言葉をもとにいうなら、ヨーロッパはギリシャを祖とする幻影に始まり、そこに終わったということができるかもしれません。(終わっていませんが)

そして、何でギリシャ危機を迎えているかというと、やはり莫大な割合の公務員が足を引っ張っているのでしょう。
日本も大手メディアが大きく取り上げませんけど、公務員宿舎は大きな問題で、ギリシャのように蚕食し尽くされるのも時間の問題なのではないでしょうか。
金額的に大した事がなく、小さな問題だという人がいますが、公務員という存在の姿勢に関わることであって、お金に換算できない大きな問題だとおもいます。

公務員の収入を清めて、公務員という職業そものを掃き清めれば、清らかな人材が集まってきて、わざわざ責任を取れと言う必要もなくなるだろうし、そもそもこういう事故は起きなくなると思います。
だから公務員制度改革をポピュリズムだという人がいますけど、超ド急所だと思うのです。

後はメディアでよく官僚の顔がみえないといいますが、これは嘘だと思います。今回の年金問題でも何でもニュースの最後に事務次官の名前を読み上げて、写真を掲げれば良いわけで、それをやらないのはやはり記者クラブ制度の手綱が効いているからだと思います。「顔が見えない」のではなく「顔を見せない」のが実情ではないでしょうか。

前にも言った、将を射んと欲すればまず馬を射よ、という言葉からいえば、記者クラブ制度などはこの手綱の部分に当たるとおもいます。
この手綱を外せば、原子力村は自然と落馬せざるを得なくなるでしょう。

「警句の碑文入り墓碑」には死んだらみんなおなじ、ということが書かれていて、これがギリシャ人の人生観だったそうです。

ソクラテスはやたら外観の悪い人間であったと伝わっているらしく、その結果作られた「ソクラテス小像」は布袋さんに似ています。

布袋さんといえば笑顔ですが、「アタラシーノ」は画期的な番組です!普通のニュースとかですと、わざわざ笑顔を我慢しているような感じになっている印象を受けるんですが、そういう所が無いところがすばらしいと思います。
肩肘を張らない笑顔が零れ落ちそうで、清純さが際立っていました。

最近の教育の傾向として、古文・漢文の音読が増えている、といっていましたけど、良い傾向だと思います。
ただ、もっと本質的にいえば、こういったものを大切にしていこう、という社会のコンセンサスがさらに重要だと思います。

城山三郎という人がいますけど、氏の著書を読んだことが無いんでいい難いんですが、お葬式にあれだけ政治家が出席するジャーナリストというのは本当なのかなと思います。震災でよく分かるようになったような政治・社会の暗部・矛盾点を的確かつ執拗に突いていれば、お葬式にこれだけ自民党員が来るということは無いだろうと思います。

この人が若い頃は軍国少年だったそうで、それが戦後になると、自己のよりどころを求めて西洋哲学を学んだそうですが、極端から極端に振れるようで、こういうのは好きではありません。伝統的なものを余り好まれなかったようですが、まずは自国の思想を探求するべきだったと思うのです。

これは城山三郎さん一人ではなく、日本社会そのものの遍歴でもあったと思うんですが、それがだんだん、良い意味での中庸に落ち着いてきた。それがこの古文・漢文の授業に表れているのかもしれません(多分)

また、歴史は変わるんで、とコメンテーターの方が仰っていましたけど、白川静さんは教育において「万国共通の知識ではないことをある程度示唆しておくことも必要ではないかと私は思う」(桂東雑記Ⅴ 93ページ)と書かれていますが、こういった姿勢を浸透させるのは、重要な課題だと思います。
必ずしも固定的な知識で無いということを示すことが、適度なラグを生んで、発想の柔軟さに繋がるんだと思うんです。

なにはともあれ、土曜日の茶色い衣装も、ほんわかカジュアルで可愛らしかったです。

りのたそはいいともでは、簡素な服装がかわいらしかったと思います。
さんま御殿は面白かったです!坂東さんが卵が好き、とかああいう反射神経が素晴らしいと思います。

prideもみてみました。ナレーションの声が素晴らしくて、内なる情熱を感じさせました。寸詰まっているのも相俟って、思い詰めた声を出させたら日本一なのではないかと思います。

しかし、くす球の扱いに憤慨しましたけど、若い人がみている番組なのだから、TBSはもっとまともな方法で受けを取るべきだと思います。

UFOも腰の切れが良かったと思います。

丈夫なようですけど、無理してぱったり、なんていうのは上手く避けてくださいね。リラックスしてお臨みください。

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