東京国立博物館 「空海と密教美術」展 第10展示期間 その7

#その他芸術、アート

N響アワーが終わってしまいましたね。やはり最終回に出演されたいけべぇ先生と檀ふみさんのコンビを解散させたのが敗着で、あとはあんまり面白くなかったと思います。変えれば良いという訳ではないんですよねぇ。
二人のゆるいコンビの中、宇野先生が出てきて、ヴァントの未完成の最初の一音を聴いて涙が出た、とかうさんくさい事を言っていた頃が一番面白かったと思います。

nhkといえば、ストレステストについてNHKの9時台のニュースで、原発の安全性に疑問を持つ声にも、電力の安定供給という産業界の切実な願いにも答えられていない、と対置していましたが(23日)そもそもこんな事をしている間に再生可能エネルギーをガンガン作って、発送電を分離して、ピーク時の電力の料金を上げれば解決することで、原発再稼動と安定供給をセットかのように対置するのはおかしいと思います。

玉川さんが関西の電力は足りる、と特集を組んでいましたが、恣意的な計算によらなければ、そもそもこのままでも安定供給に支障は出ないのではないでしょうか。

このニュースの枠は正直言ってみる気にならないので、余りみていないために控え目な表現になってしまうのですが、どうもかなり酷いのではないかと思います。御用学者ばっかり出ていたのは記憶に新しいです。

専門家から疑問の声が上がる、政府の試算を鵜呑みにして報道をしているのではないでしょうか。

同じく3月26日のNHKの九時のニュースでは民間の節電の樣子をたくさん持ってきて「節電の夏がはじまる」とやっていますが、繰り返せば玉川さんによると偏っているという政府の試算をそのまま採用したとしても、節電すればいいのはピークの一瞬であり、原発を再稼動しないと電気をじりじり削らなければならないかのような、非常に誤解を招く表現だと思います。

メディアの原子力ムラ、と言った時に筆頭に上がる番組でしょう。

NHKはいざという時に大本営発表を繰り返さないため、という名目で今の形態をとってきたはずです。こういった時に、まったく役割を果たせずに終わるのは恥ずかしいことではないでしょうか。
一部良い動きもありますが、大勢。特にこの番組にはいえることだと思います。

3月26日のTBSの夕方のニュースではLNGが上がっている、というのですが、他国より割高で買っている、という事実には触れません。

東電の値上げは原発再稼動を含めたもので、再稼動しないともっと上がるといっているのですが、リストラをしろと言っても、発送分離や、万が一足りないとしてもそれはピーク時の一瞬だけである、という事を伝えません。

こういうニュースを伝える時は、値上げをせざるを得ないのは、原発がお荷物になっているからだ、という視点が必ず欲しいと思います。

まえにNHKでやっていた「空海 至宝と人生」は良シリーズ。

松本明慶さんが、忿怒の仏像にも慈悲を込めなくてはならない、と忿怒だけを込めた仏像と忿怒の中に慈悲を込めた仏像を彫っていましたけど、後者の方が格段に良かったです。

これは人にも当てはまることで、空海が言葉では伝えられないとして仏像に託した仏教の内容でもあるでしょう。

しかし、空海は恵果から帰国を勧められたらしく(「図解 密教のすべて」 (光文社文庫)花山 勝友 (監修) 79ページ)、だとしたら空海には中国に残る選択肢もあった、という夢枕獏さんの話は可能性が薄かったのかもしれません。

番組の中で、理趣経は当時の最先端、ということで、欲望肯定の教義について描かれていました。

江戸時代以前の仏教は結構明るいんですよね。そもそも、お寺は行楽地でしたしね。

そもそも仏教は人間の本源を極めるもので、修行の中で禁欲するというのはあるんですが、禁欲そのものを目的とすると人間の本源から離れてしまう。仏教思想を一つのよりどころとしながら、瀟洒な花を咲かせた江戸文化をみていますと、そういう認識を一般に至るまで、持っていたのではないかと感じるんですよね。

そういったものの背後に空海の密教の思想が水脈として各宗派に流れていたのかもしれません。

それが、明治時代以降、軍国主義の風潮やキリスト教の禁欲主義が入ってくると共に、そもそもの禁欲的な要素を取り出して変形したり、それに迎合する形でかなり変容してしまっているのではないかと思います。

その一方で坊主丸もうけといいますか、境内の所有地トラブルに代表されるような、密教で称揚される清浄な欲望とは程遠い欲望は蔓延するばかりです。

空海の思想を見直すことで、そういった偏りを見詰め直すことにもなるのではないでしょうか。

第二集も面白かったです。しかし立体曼荼羅は、テレビのように全部揃わないとわかりませんね。仏教の世界であると共に、一人一人に住む人格の理想性の高い形を網羅してバランス良く配置されているんですよね。全て揃うとそれが感じられます。

石川九楊は松岡正剛さんも批判していましたけど、僕もどうも駄目なんですよね。雰囲気が硬くて実際に話す姿をみていると、あごが上がってふんぞり返っています。そういう人はいますけど、ここまで分かりやすい人も珍しいと思います。声も硬いですし、書体もとげとげしていて良くないと思います。

誰がどういうルートで評価して権威ある感じになっているんですかね。逆にそこが気になります。書道界の人たちが気にならないとしたら、それはそれでとても問題だと思います。

というわけで氏が話している部分とかは全て早送りしてみましたけど、デザイナーとしての空海の幅広さが伝わってきました。

色んな書体だったり、立体曼荼羅だったり、色々やっているように思うんですけど、仏教の真髄を極めて、それを美術品に移しこみたいという願いは共通しています。

こういう人として向上していって、それを美術品に移しこむという考えは、北斎の富嶽百景の跋文にみえるように、後の日本まで繋がってきたものであって、その源流を空海だったりもしくは法隆寺などに観る事が出来るのではないかと思います。

本当の話かどうかはともかく、空海の書の逸話としては、遣唐使船が南に流されて、現地の役人に相手にされず留め置かれていたのを、空海が手紙をしたためるとその素晴らしさに驚いてすぐに上陸を許可されたというのがありますけど、司馬遼太郎さんはこれを空海の四六駢儷体という古めかしい文体に驚いたものだとして、今の日本人が外人さんが候文を書いたら驚くようなものだと例えていましたけど、これも怪しい説なのではないかと。

この番組では色々な古典が引用されている素晴らしい文章だったので、と解説されていますが、在地の役人は豊かな内容と書の真髄に驚いたのであり、それを古めかしいフォーマットに驚いた話に変えられていると思います。(少し参考 https://shakaitsuugan.work/2010/05/03/50386500/

それにどうも四六駢儷体はこの当時の唐で普通に使われていたように、手持ちの資料やぐぐって出てくる文章を読む限り思うのですが、、、、。

人だけでは無く、生きとし生けるものを救おうという空海の気迫が伝わってきました。

「大威徳明王坐像」は閻魔さまことヒンドゥー教の死の神マヤを降伏させる明王らしく、えーきさまぴんちです!神主はご結婚おめでとうございます!誕生日もおめでとうございます!!お子さんのご誕生おめでとうございます!!!(予定)

「即身成仏品」は所々梵字が挟まれている、面白いお経。

一部に挟まれていたといえば、りのさんのCMもみましたけど、やはり独特の雰囲気があって、とてもよいアクセントになっていたと思います。立ち止まらせてみさせるものがあると思います!
いい意味で生々しい生活感が感じられて、リアルな雰囲気だったと思います。

3月18日の増刊号はプレゼントをシュチュエーションで渡してください、とジュニアさんに振ったのが機敏で、面白かったと思います。
ALT神7の時もそうでしたけど、先輩に平気で振れたり注文をつけられるのに、腰が低くて驕りが無いのがりのさんの素晴らしい所だと思います!

3月21日のいいともはやっぱり五月みどりさんをすぐに当てたのが凄いと思います!martは惜しかったですねぇ。喜んだ時の雰囲気がとてもよかったと思います。

太田さんは相変わらず脈絡もなく騒いでいるだけで、面白くないと思います。
太田さんは「原発では一人も死んでいない」ということをいうのですが、間接的な(というのも憚られますが)死者は多いですし、原発さえなければ、といって死んでいった方に代表される、農家などの自殺も多いです。本来ならこういった方を一人一人取り上げて長編ドキュメンタリーをテレビ局が作るべきだと思うのですが、そういったことへの(意識的な)怠慢が、太田さんに観られるような認識を生んでいるのだと思います。

海洋汚染は甚大ですし、四号機の危険な状態です。二号機は水位が低く、高濃度汚染水が海へ流れ出ています。産業に対するマイナスも甚大ですし、再生可能エネルギーに切り替えて行った方が断然国の成長も望めるでしょう。

前にも言いましたけど、東京で暮らせるのは運が良いだけ、という事は忘れてはなりません。

それに、国土を汚してしまった痛みを実感として感じられるか、感じられないか、というのは個々の意見の形成の大きな要因になっていると思います。

アーサービナードさんの「セシウムが咲いた」が議論を呼んでいますけど、これは貴方たちが愛でていた桜の国はセシウムによって一部は永い間住めない位になってしまった、そのことと正面から向き合わなくて良いのですか、という問いかけだと思います。

そういう痛みと悔悟を裡に引き受けるべきなのではないでしょうか。

ただ、太田さんは堤防のほうとかもっとやるべきじゃないか、と話をそらしていましたけど、堤防についてもっとやって欲しいというのは同感で、私はかなり情報を集めているほうだと思うのですが、未だに震災前に堤防を作った人たちはどれだけの津波まで防げると思っていたのか、過去の津波の情報はどこまでフィードバックされていたのか、という事を知りません。

岩手県の普代村でのように高く建てれば有効なのか、といったことも知りたいのですが、そもそも普代村自体の報道もみたことがありません。(何個かはあったんですかね?)

網羅していませんけど、震災一周年には、堤防の責任者のインタヴューは本来欠かせなかったのではないでしょうか。

太田さんは次の週には、DDTを辞めたからアフリカの人がたくさん死んだという説を出して、悪いからってやめて良いのか、という話で原発につなげていった模様。

福岡伸一さんに、DDTにはすぐに慣れるからそうではないといわれていましたけど、よくそんな揚げ足取りのような説を拾って来るな、と意欲に呆れます。

時間軸が大切だとして、すぐに無理して自然に無い事をやるとそのツケが回ってくる、という福岡さんのお話だったみたいですけど、私が思うに、エレガントな意味で自然に寄り添うことが、結果として人のためになるだろう、ということが重要だと思います。

原発推進といえば、吉本隆明さんが亡くなりましたけど、なんか他にも発言を聞く度に変なこといっているなぁ、と思ったものです。

氏の専門に分け入った評価は下せませんが、ポストモダンというのか、前にも言った「履き違えた自由」を戦後、理論面から支えた人だったのではないか、と感じています。

分割いたします。

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