板橋区立美術館 江戸文化シリーズ No.27 実況中継EDO

#その他芸術、アート

5月6日のサンデーモーニングの特集では、水俣病への対策の遅れ、アスベストへの対策の遅れを、リスクを軽視して利益を得ようとしたからだといっていましたが、別に水俣病に手を打つことを遅らせることで市民が得をするわけではなく、無視を決め込んで得をする人が利益を得るわけであって、社会全体のリスクをここに押し付けてきたというような報道はおかしいと思います。
一部の人の利益を得るための過失であったという事を言うべきであり、それを深くえぐるのがテレビの仕事のはずです。

利益を求める庶民の声に押されて政治家が甘い事を言ってリスクを過小評価してきた、といいますが、リスクの部分(安全神話のうそ)、もしくは通説にいわれている利益の部分が違う(たとえば原発は安い)という事を周知徹底させるのがテレビの仕事のはずで、ポピュリズムという(という言葉自体は使っていなかったと思いますが)魔法の言葉で国民に責任を転嫁しようとしていると思います。

ポピュリズムというのは特にメディアを通して発せられる時に独特の意味を持つ言葉で、新聞やテレビやそこに団子になっている人たちが一般に責任を転嫁して、尚且つふんぞり返れる、極めて便利な言葉だと思います。
ポピュリズムと百回唱えるより、テレビと政府の理想とかけ離れた緊密な関係や、旅行等・広告費について一言言う方が、世の中を変える効果は圧倒的に大きいと思います。

政府からの情報を信じてた(それが良くなかった)、と町の人の声でいわせていましたけど、それをそのまま垂れ流してきたのはテレビ・新聞です。大本営発表を垂れ流して、政府が言ったことだったから、というのは報道機関の言い訳ではないと思います。そして自分たちがそのまま垂れ流してきた、ということすら無かったことにして通り過ぎてしまおうというのが、この町の声を選んで放送した意味なのではないかと思います。

TBSビデオ事件が起きたのは私が幼い頃であり、TBSというとそういう雰囲気なのですが、今でもインターネットなどで「報道のTBS」を懐かしんでいる書き込みをみるたびに、違う世界のおとぎ話のように聞こえます。まずはすべての利益を横において、本来の報道を貫くことが必要なのではないでしょうか。この日に報道された事件も、それが出来なかった所に深い根を持っているのだと思うのです。

たとえばTBSの6時15分頃のニュースでは、関西の電力の供給が危ぶまれる中、云々とニュースを読んでいましたが、足りないとするのは関西電力の発表であって、客観的な事実のように話すのではなく、具体的に話すべきだと思います。

行って参りました。
幟のコメントは「不便でゴメン>_<」とのことで、不便だからこそのローカルさが味の美術館です(^_^;)
実にやる気に溢れた美術館で、ホームページの出品リストもちゃんとコピーが出来る仕様になっています。改善点をいうとすれば、今回は細かい町を俯瞰したような絵が多かったので、もっと作品と近い展示だと良いかもしれません。

江戸の写実的な仕事を集めた展覧会です。やはり一番の写実は地図ということで、伊能忠敬「日本沿海輿地図(小図)」がどんと。三枚ものですが、壁一面を覆い、かなり大きいです。
何でも本物は明治6年に皇居の火事で焼けてしまったらしく、今に伝わっているのは江戸時代の写しなのだそうです。

20年かけて作った一番大きい216枚ものの「大図」のサンプルがインターネットでみられますが、これまた精緻で凄いです。体育館一面が必要みたいですね。
高い本として売っているみたいですけど、こういうのはインターネットで見られるようになるのが本当ですよねぇ。

なんでも江戸時代の画家達はスケッチが極めてリアルらしく、それをもとに南画でいえば「真景図」という山水図っぽいのを描いていたとのこと。「写意」に基づいて描くとそうなるらしく、わたしたちも古典日本画鑑賞の時は、写実から一歩抜き出た絵であることを意識してみるべきですね!?!!!(当然)

狩野探幽の「草花写生図巻」はそういうスケッチの一つで、花弁の開きに村上華岳をほんのりさせたような柔らかさが満ちています。
図録には、昔の人はスケッチには絵を描く喜びが溢れているのに、肝心の作品からそれが感じられないのは謎である、と書いてありました。
スケッチには古典の向こうの人間のツイッターの呟きをいきなりみたような、どきっとする生々しさがあります。

池大雅、高芙蓉、韓天寿の「三岳紀行」は紀行文で出納帳がついています。
時習館の様な藩校でも算数を教えていたらしく、江戸時代の武士の数学軽視は定説のように思われていますけど、実際はどんな感じだったんでしょうね。

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