Bunkamuraザ・ミュージアム レオナルド・ダ・ヴィンチ美の理想 その2

#その他芸術、アート

吉田秀和が亡くなったので、識者の意見も聞いてみようと、久しぶりにレコ芸を読んだのですが、本人の文章は載っていたのですが、それについての記事は無し。

ついでに宇野先生の文章を読んだら辻井君を絶賛していたので、時代の移り変わりを実感。やっぱり良いピアニストですからね。評論家にとって絶賛できる演奏家がいるということは幸せなことだと思います。

ただ、宇野先生は力みが無い、という表現を使っていますけど、辻井君の良い意味での清澄さが、ロマン派以降の従来の西洋の古典的な作品では長所として十全に活き切らない、という所があると思うんですよね。

前に辻井君のピアノを良くも悪くも水っぽい、と書きましたけど、これは実は上原さんなどのほかの日本人のピアニストにもいえる長所で、そういう日本人の長所が生きる曲をもっと日本人の手で作り上げていく必要があると思います。

ただ、世界全体でみてもこれからそういった傾向の曲・演奏家が増えてくるのではないかと思います。戦争の世紀からは卒業していくでしょうから、音楽の内容もそれにふさわしいものになっていくのではないかと思います。

ご本人は作曲もされるみたいですけど、これは期待できますし、もっと伊福部昭さんが仰るような中道を深めていくような日本の作曲家が沢山出てくれば良いですねぇ。

ちなみに片山杜秀さんはこの伊福部昭さんの真ん中が無いという文章を、中産階級という社会的な階層の意として捉えてらっしゃる時があって、その論理を引いて中産階級の評論家として吉田秀和を絶賛していましたけど、伊福部昭さんが仰りたかったミドル云々の議論は階層的なものではなくて、音楽の内容として中道のものがふさわしいという意味だったのではないかと思います。

ご本職の歴史家としてのらしい認識ともいえるかと思いますけど、ずれて意味は違っていますし、そもそも吉田秀和は伊福部先生を評価していなかったのではないかと思います。思想も相容れないものを感じますし、伊福部先生の遺志を継がれる方としてそこら辺の矛盾を放置しないで貰いたいと思います。

しかし、タワレコにいったらベルグルンドの追悼特集をしていましたけど、亡くなったんですね。指揮者で82歳だと壮年のような気すらするのですが、実際は亡くなる方もいらっしゃるのですね。
涼やかで冴え冴えとした音楽性が特徴で、夏の日にヘルシンキフィルとのシベリウスの7番を聴いて、涼感を補充した日は数知れません。合掌。。

それにして昨日はNHKでヴァントの特集をやったみたいですね。たしかNHKはワント派の領袖だったと思ったんですが、テレビ欄の表示ではバント。なにかヒットエンドランみたいな名前ですねぇ。

会場には「人間のさまざまな美のうち道行く人を引きとめるのは、沢山の装飾品ではなく、美しい容貌だということを君は知らないのであろうか?」という言葉があって、これを読んですぐみぃちゃんを連想したわけではありませんが、笑顔は値千金だと思います!

みぃちゃんは新しいプロフィール写真もとてもかわいらしいと思います!それに色々アイディアがあるのが、らしいと思います。

フライデーもとてもよく撮れていたと思います!大人っぽい表情が良かったですし、顔が小さいんだなぁ~と思いました。
ただ、表情の違いなども、微妙によく付いているんですけど、前回の大島さんのと比べると、まだまだ出来ると思います!

みぃちゃんの日本の見方は、報ステを変えたらちらっと映っていたんでビックリしたんですけど、彼女にしたいランキングを明るく、ポイントを抑えて解説していて、ぴりっと辛い感じもちょっとあって、良かったと思います!
みぃちゃんは賢くてとても可愛いと思います。

しかし大島さんの近くにいると、やっぱり元気になるんですか。そういうのっていいですよねぇ~。そういえば、月9の集まりの人達も似たようなことを仰っていましたよね。

大島さんのこういう資質が、AKBと関わっているとなんか気持ち良いんだよなぁ~、元気になるんだよなぁ~、という状態を作り出して、ファン層が老若男女に広がる理由になっていると思います。

大御所たちとのやり取りも凄く上手く出来ていたと思います!喋っている感じがしっかりしていて、それで愛らしさもあって、髪の毛を結んだリボンもかわいらしかったです。
この番組をみた人は、AKBってしっかりしたグループだなぁ~、という感想を持ったと思います!

ランキングはですねぇ、例えば相撲なんですけど、明治になるまで優勝力士というのは決められていなかったそうなんですよね。別にあえて出さなかったわけではなくて、どうもあんまりみんな気になっていなかったみたいなんですよね。一番一番の勝負を楽しんでいたみたいなんです。

「世界で一つだけの花」は仏教思想から影響を受けたらしいですけど、そういう意味ではこれは、廃仏毀釈以前の日本の伝統的な考えであったわけです。

ちなみに秋元さんが「君は僕」を書きましたけど、これは恐らく、タイトルだけをみて判断すれば、仏教思想を引用して「世界で一つだけの花」の二匹目の鰌を狙ったものでしょう。
狙いどころはいいんですけど、秋元さんはあざといというか、まっきーの場合は仏教思想に対する主体的な共感があったわけですけど、その点秋元さんはテクニカルな感じがしますから、どんなものでしょうかね。本気を出してきているのは伝わってきますけど(^_^;)

また身体的にも、「武道を読む (レクチャー 武道) 」(運動科学研究所 (編集), 高岡 英夫)という本でチャンピオンスポーツについて話題になっているんですけど「資本主義とスポーツの相同性が語られているけど、彼らがどこまでそれを判って言ってるのか、若干疑問だ。」(121ページ)とのことですけど、恐らくここで語りたいのは、身体性自身がチャンピオンを求めるような方向性に変わってしまった、ということなんだと思うんですね。

多様な在り方、棲み分けを許容する、あいまい耐性が下がってきた、といいますか、身体的にそういうものが許容できないようになってきたということだと思うんです。

そんなこんなで相撲界も優勝を決めるようになったのだと思いますが、この総選挙のシステムはそういう社会の脆弱性を突いている、もしくは突こうとしているものなんですよね。

前に「アニメじゃない」の話をしましたけど、あれはなにかというと、当時の一連の宗教事件が起こる直前の、身体性が薄くなって、現実とヴァーチャルの区別がつきにくくなった若者の精神の在り方を突いている、もしくは突こうとしている詩だと思うんです。そういう人が聞くと、ああ、アニメじゃないんだ、と納得してしまう。
私は駄作だと思うのですが、これと「オネアミスの翼」は一連の事件前の、当時の若者のふわふわした感じを記録する、社会学的な資料だと思います。

選挙では、特に異常にたくさん投票する人については、街中にいる小さなカオナシたち、といいますか、明治以降、来る所まできた、多様な価値観を宿すゆとりを失った、悪い意味で一位を志向する逼塞した精神・身体性を持っていて、コミュニケーション能力が不足した代わりにお金にものを言わせるような人をターゲットにしているんですよね。

個性と多様性といえば、うろおぼえなんですけど、昔、坂下千里子ちゃんと山口もえさんが、かわるがわるでコンビニの受付をやる、という企画をテレビでやっていました。
面白かったのが、声をかけられる回数は圧倒的に坂下さんが多かったんですけど、山口さんの方が一緒に写真を撮ってといわれる回数が多く、距離感といいますか、アイドルとしての在り方に隨分違いがあるんだなぁ~、と感嘆した記憶があります。

AKBの中でも、実は人気があるのだけど、ファン層が余り投票しない人であったりとか、地味だけどチーム全体で観た時にとても重要な人であるとか、まわりを和ませるのが得意であるとか、そういうのはなかなか票に反映されなかったりすると思うんですけど、結局はご自身らしく、グループに貢献して行くことが結局はご自身を守ると思うので、あんまり気に病みすぎずに、自分の道を歩んで、自然体で臨んで欲しいなぁ、などと思っています。

「ほつれ髪の女」は実物でみると柔らかい質感、深みが比類なく、小さいものですけど、結構なものだと思います。「岩窟の聖母」の習作である可能性があるらしく、そういわれるとかなり似た表情をしています。

柔らかい表情といえば、6月2日のANNは、クールビズの衣装がとてもきりっとしているようで、胸の三つのぼんぼんに愛嬌があって、とてもかわいらしかったです!おめしかえのあとの衣装も快活な感じで、清凉感に溢れていたと思います。

6月3日のANNは、フリルがかわいらしくて、とても涼やかだったとおもいます。スカートと上着の取り合わせは、深い紺碧と空色が彩なす、グレートバリアリーフの美しさを思い起こさせました!その上をフリルの光の乱反射が彩るのです。
オマーン戦に日本が勝てたのは、市川さんの微笑が素晴らしかったからだと思います!!!

おいしい散歩も素晴らしかったです!市川さんが行くと地味な文化の滋養が強調されて、光り輝くようだったと思います。かやぶき屋根に感嘆するところとか、コメントも的確でとても雰囲気が出ていたと思います。白い服は下町の純情(多分)にマッチしていましたし、シジミ汁を飲んだ時の笑顔も素晴らしかったです!!

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