行って参りました。扇ばかりの展示ということで変わっていますけど、全て絵師の直筆で実質肉筆画展です。しかも他の展覧会では観られないものばかりで、その質に早めに行って極めて微力なりとも宣伝するべきだった、と思いました(^_^;)
版画も良いですけど、肉筆画のずばっとくる感興は格別です。
肉筆画を得意としている流派が多く、琳派や英派が多く、纏めて遊び人派と呼びたい所です(笑)
江戸琳派の俵屋宗理の「藤」からして非常に雅趣溢れるもので、伝わってくるものがあります。
琳派は日本の美の本質が伝わってきたもの、は細見美術館の学芸員の人の言葉ですけど、私はもっと触覚を重視して「元型」と呼んでみたいところ。
この前鑑定団に児島虎次郎の絵が出てきたんですけど、同じ美意識を感じて感動しました。この画家については良く知らなかったんですが、良い洋画家ですね。大原美術館は東京に出張してきてくれないかな~。
同じく「柿」は柿の実を山に配置した作品で、3Dを生かす技の冴えがみられます。
最初の解説にいかに扇子描くのが難しいかということが展示されていて、たごまって歪んでしまうので、あらかじめそれを予測して描かねばならないみたいです。
酒井抱一の一対は日本的な「類なき光を四方にしき島や」といった和歌が書かれているものと、後赤壁賦が書かれた漢画調のいざよう月。
特に後赤壁賦の詩がこれ異常ないくらいに美しく、極めて大きな感動がありました。
タモリ倶楽部で「船の科学館」を見学したものをみたんですが、敷島と大和の模型が展示されていて、改めて豊かでない国力の中でこれだけ心血を注いで造ったのにまったく役に立たなかった戦艦大和のあほらしさを感じました。原発にそっくりすぎて、語るのも無用といった感じです。
そもそも、大和というのはそのものズバリの名前で品が無いと思います。
敷島という言い方は日本を象徴する言い方として、大和より奥ゆかしい感があり、そのセンスの差が戦争自体のナンセンス度の差になっているように思います。
同じく抱一の「源氏物語」は仕事が凄く繊細で、どうしてしまったのか、とさえ思います(笑)
粋を織り込むべきアイテムの扇子には傾注していたんだなぁ、ということが伝わって来る展覧会です。
弟子の鈴木其一の「彼岸桜」は侘びていて、まだみぬ代表作の「朝顔」を思い出させます。
鈴木守一の「蛇籠に流水」は流水紋があでやか。
松本交山の「桜」はたらしこみがふんだんに使われていて、最近ざっくりとした絵ばかりみていたので、懐かしく感じます。
西川祐信の「蛍狩美人図」は棒の先にうちわを付けて蛍狩りをしているらしい美人の図で、一番ほっこりさせてくれた作品。今ではみかけない習俗なので解説が欲しい所。
「香をたきしめる女」はいそいそと準備しながら寛ぐ姿が、香り高いです。
解説によると顔は必ず折り目に来ないらしく、北斎の「縁台の三美人」の様にみる角度によって見える顔の数が変るものもあります。
同じく「物想う美人」は夜鷹図につらなる憂愁の美人。「腕相撲」は腕相撲をする人の肩甲骨が出すぎで、ここら辺の人物のダイナミックさは広重のオマージュ作品などと較べると、一層感じます。
国貞の「浮世名異女図会 洛東 白拍子」は複雑な格好が見事な作品。今の同人の絵ももっとこういうのを研究して現代的にしてとりいれれば面白いと思います。
長沢芦雪の「熨斗に海老」は熨斗がびろ~んと伸びた形が、同作者の虎を思わせます。
森狙仙(これはPCには一発変換して欲しいですね)は猿ばかり描いていた事で有名な人ですけど、その毛描の精緻で柔らかい味わいは格別。
江戸時代は職業の種類が異様に多く、分業化が進んでいたといいますが、絵師も同様なんですかね。
森蘭斎の「蟹」は墨痕鮮やかに大きく蟹が描かれていて、珍しいです。
この人は調べてみるといい絵を沢山書いているんですねぇ。
司馬江漢の「白相州大山頂望富嶽」は奥行きのある絵で、空気遠近法のような水墨画の伝統のような雰囲気を醸しています。
同じく「蝶」には西洋画師江漢と書いてあって、自負がうかがえます。
「英一珪」の山水は狩野元信が描いた利休の旧蔵品を模した物で、幽幻の山水図。骨が立派な様な気がします。
狩野寛信の「めだか」は折り目が光を乱反射するように使われています。
文人画のコーナーでは十九世紀に文人画が流行し始めるらしく、時代区分だけみれば中国の元代くらいに突入したのかもしれません。伊万里の染付けも中国では元代に流行ったものですし。
長谷川雪旦の「竹生島」は極彩色で、こういうのもこの人はうまいんですね。
前に司馬遼太郎さんが、日本は扇子を開発した以外無かった方が良かった国ということになってしまうのではないだろうか、と書いていたという話をしましたけど、日本の歴史をやっているから日本の歴史が好きか、というとそうでもないことって結構あるんですよね。他の分野でもそういう人はいますけど、そういう人はどこかみんな特有のニヒルな感じがあるんですよね(^_^;)
ニヒルかどうかは知らないのですが、江戸時代の歴史を良く書いている人では八幡和郎さんが典型のようで、あんまり江戸時代は評価していないみたいですね。
司馬遼太郎さんが得意な話で「山岡鉄舟の桃太郎」という話があるんですよね。私が知っている鉄舟と円朝のやり取りと少し違うような気もしますが(特に禅的な内容が省かれている)。
もう一つは松尾芭蕉が松島に行った時の話で、ここで有名な「松島やああ松島や松島や」を詠んだとされていたんですが、実際は違う人の作のようで、氏の説によると、想像の中では美しかったのだろうが実際にみてがっかりしたのだろう、だから実際は句を読まなかったのでは、ということ。
同じような事をいっている人は知りませんが。
この二つの話の中に出てくるテーゼは同じで、実際より想像の中での方が美しいんだ、ということなのですが、司馬遼太郎さんにおける歴史も似たようなものではなかったかと思います。想像の中の物語の方が美しいのだと―――――――。
前に司馬遼太郎さんと歴史修正主義はコインの表裏と言いましたけど
こうやってみていくと、やはり対になるような自国への評価の低さが観えてくるのではないかと思います。
自虐史観といってしまいますと、そっちの用語になってしまいますけど、歴史を出来うる限り公平に把握しても、相対的な評価に低さみたいなものが、知識人と言われる人や一般を問わず、あった(ある)のではないかと思います。そういったもののオリジナルとなっている歴史観が司馬遼太郎さんのそれだったのではないかと思います。
その後歴史修正主義があって、また極端に触れる要素も出てきて、そういったものを経た今こそ、真実を突いた歴史観を国の中で共有する素地が出来つつあるのではないかと思います。
またこの扇子の話は前回書きました独創性の話も含んでいます、表面的な意味での独創性、のもう一つの問題は欧米中心主義的な認識を導いてしまうことです。
19世紀から20世紀にかけて、あの頃は大した事が無い学者でも大きな仕事が出来た時代だった、などと振り返られる時がありますが、そういった名を残した学者と、例えば当時アフリカなどで搾取されていた人達はどっちが偉いのか。アインシュタインなどはやっぱり天才で頭がいいですし、その創造性などは鑑とするべき部分があると思うんですけど、ほかの当時の科学界全体を見渡して、表面的な意味で先にやったから偉いのだ、という面を強調しすぎると、冨を収奪していた欧米が収奪されていた側よりやたら偉いかのような結論を導き出してしまうんですよね。
先に裕福になったので研究が進んだという面もありますし、他にもフランス革命などを叙述する時は必ずこういった視点は入っていなければならないと考えています。
司馬遼太郎さんには良く、日本の独創性に疑問を投げかけて自問自答するような文章を見かけますが、日本の発明品は多く、文化的な独創性を軽視しているのと、上のようなことが言えるでしょう。しかもこういう発想だと、たとえばアフリカの創造力はどうなってしまうのだ、ということになってしまって、氏は一度もそういったことを取り上げていなかったと思いますが、そういった面からも欧米中心的な意味での「独創性」に対する問だったといえ、欧米だけを外国としてみるような戦後によくあった思考的な枠組みを披瀝しているといえるでしょう。万国公法的な国の位置づけ意識を擁護する形だったと思います。
またこういったことを擁護する理論として「神という真空」
の話とリンクしてくるでしょう。
念押しでまとめると、日本における従来の独創性の議論と欧米中心主義は強く繋がっていたのではないかということです。あと忘れてはいけないのは、こういう考えは女性・人種の問題にも影響が大きいことです。
また「独創」の個々を観ていっても、メンデルの法則というものがありますけど、あれは日本でも江戸時代に似たような事を記した書物があるんですよね。縄文時代の品種交配の跡にすでに萌芽あるとも言われ、おそらく日本だけではなく他の国にもあると思うんですけど、それをメンデルの独創として流布してしまう。
民主主義にしても日本の江戸時代を初め、世界には構成員の意志を集団の中で反映させる色々な仕組みがあったんですよね。
「わたしは、江戸時代というのは封建社会ではなく、工業化以前の近代社会としてとらえるほうがよいのではないかと考えている」(百姓の江戸時代 (ちくま新書) 田中 圭一 (著) 35ページ)というのは私でもビックリした記述ですけど、歴史家にそういわせるだけの資本主義社会への動きや、民意を吸収するシステムの確立があったのは確かだと思います。
お釈迦様のシャカ族も共和制的な政体だったといいますし、もちろん学問的な蓄積は重要ですが、世界に普遍的にあったものを独創として喧伝してしまっているのではないかと思います。
それに自由とか平等とか言っても、ずっと極めて限定的な状態が続いており、現代でも人種などの問題は根深く、未だに改善の途上にあります。それがいかにもそういった概念がフランス革命の頃に発明されて、それを欧米が体現しているかのように見すぎているのではないかと思うのです。例えばキング牧師が活躍する以前のアメリカ程度の平等性を備えた国家は、古代から色々あったと思うんですよね。
こういったことはいわゆる「大発見の時代」の歴史観に顕著ですけど、そういう独創性の独占・流布による欧米の主導権の確立・補強、というものが世界的にあるのではないかと思います。
この展覧会では扇子についての解説が充実。
明治以降に開発された扇子の解説があって、「夏扇子(持扇子)」はちょっと小さいそうです。
「茶扇子」は茶道が女子教育に採用されてから作られたサイズの小さい扇子。
「舞扇子」は日本舞踊ようの激しく使っても壊れない扇子で、よくゆゆ様が持っているやつですね。
江戸時代の扇子はよく将棋連盟とかで売っているのに似ています。ただ骨が細いものが多く、江戸時代当時の骨を残しているそうですが、質の良い木材が多いように見受けました。
明治神宮はぼちぼち観光客が戻っている感じですけど、ぞろぞろ団体で来る客がいませんかね、、、、と思っていたんですけど、なんでも中国人観光客の脱団体化が進んでいるらしく、僕が感じたのはそれだったのかもしれま
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