東京国立博物館 博物館に初もうで&東洋館リニューアルオープン その5

#その他芸術、アート

1月10日の午後5時15分頃のニュースでは、日本元電の最高益の話をやっていて、原発の維持費と電気料金の関係がやっとテレビで出てくるようになりましたが、1年半以上前から指摘されていたことです。知らないのではあれば、メディアとして余りにも怠慢ですし、知っていて燃料費で値上げ報道を繰り返していればなお悪質です。

日本元電がなくなって発電できなくなったら日本経済はどうなる、ここが今政府が一番心配していること。と松原耕二コメンテーターがいっていましたけど、原発無しでも電力は足り、困るのは原発で発電しなくなって広告料が流れ込んでこなくなるメディアでしょう。
むしろ原発で発電しないことで新しい産業が興り、日本経済ははじめて復活を始めるのです。

中国の南方新聞の話では、他の地方紙も強い支持を打ち出すなど、真面目に政府と戦っているなというのがよく分かります。日本ではややもすれば中国が遅れてといった視線で見る記事も散見されていますが、露骨なプレッシャーに対してい正面から戦っていく姿勢を観ると、原発報道などを例にとってみれば、一部の地方紙や東京新聞などを除いて日本にそのようなものがあるとは思えません。

この前の病院の話もそうでしたけど、露骨さが無い分、一目で見えないような形での腐敗が日本は非常に進んでいて、そのことに対して非常に自覚的に振り返らないとまずい状況になっていると思います。

デモの報道も中国のように国際放送をぶちっと切らなかったというだけであって、結局あれだけ程度の低さを話題にしておいて違いはなく、日本国内では振り返ることもしないのです。

大島渚監督が亡くなりましたけど、この前の篠山紀信とアラーキーについて、アウトローなのが格好よいんだという時代があったということを報せてくれる人、といいましたけど、もう少し前の用語でいえばデカダンスの人達ですよね。19世紀ヨーロッパで退廃的な立場で反体制を表現したという。
例えば最近では許光俊とその仲間達の音楽評論ですとか、日本美術で言えば辻惟雄さんの奇想がそういったものだったと思うんですけど、現在は政府などのど真ん中がデカダンス。退廃的な状況になっているわけで、退廃的なものが反体制的にならない状態だと思うんですよね。
当時から実はそういう状態だったと思うんですけど、退廃的なものに、退廃的なものが足りないと、退廃的なものを反体制?的な人達がぶちまけていた、というのが戦後の流れの一つだと思います。

作品を観た事が無いのですが、そういう退廃的な反体制の時代の終わり、というものを監督の死から感じるように思います。これからはむしろ立て直していくタイプの反体制こそ、必要な時代に入ったのではないでしょうか。

1月16日のテレ東の午後10時15分ごろでは「土光のめざし」の話を放送していましたけど、これは前にも話しましたとおり額面どおりに受け取れる話ではなく、このようにそのまま放送するのは不適切です。
清貧の思想っていうんでしょ。とピーコさん(多分)が仰っていましたけど、こういうのを清貧の思想とは言わないと思うんですよね。
清貧の思想とは中国思想であって、中国の思想は基本的に士大夫の思想です。つまりこれは反主流になって貧乏になっても節を貫き通せ、という意味であって、出世してお金がある人が節約する話ではないのです。

以前にサンデーモーニングで岸井が、これからは清富の思想が必要だ、といっていましたけど、このようなことを踏まえていうなら状況的にありえない話です。反主流になって冷や飯を喰う清流士大夫の生き方は彼から最も遠いものであるといえるでしょう。

久米さんの番組では次のシーンで鳩山邦夫が出ていましたけど、家の中には美の壷で紹介されたステンドグラスが。柿右衛門をたくさん持っているんですかね。
得意の蝶を出していましたけど、これを見せたかっただけではないかと。

兄の鳩山由紀夫が中国でまた、領土紛争を認めろと、余計な事をいったみたいですけど、これは良く玉川さんも主張しているんですけど、やってはいけないことだと思います。とにかくこの海域は動かさないことが正義なのです。このままではいつまでたっても答えがでない、といっていましたけど、答えとは何なのか。
引退したのならさっさと下がってもらいたいと思います。

旧日本軍の蛮行についても触れたそうですけど、鳩山の発言は脇に置いておいて一般論として、そういったものはちゃんと謝罪して繰り返さないように国内で責任を取った上で仕組みを改革したうえで、記念館や教育で、数字や事実関係に誤りがあるのではないかという所はしっかりというべきだと思うんですよね。両方できていないのが非常に問題です。

日本には例えば朝鮮に対して、戦後も根強く残る差別意識の一方で、統一教会が流行るような悪い意味で卑屈な意識がありましたが、これは両方とも日本の未来にいらないものです。それは中国に対しても同じことなのです。

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