Bunkamuraザ・ミュージアム マンチェスター大学ウィットワース美術館所蔵 巨匠たちの英国水彩画展 その4

#その他芸術、アート

「自転車の信号無視、罰金…悪質運転は厳罰化へ」(http://www.yomiuri.co.jp/national/news/20130122-OYT1T00198.htm?from=ylist)というニュースもありましたが、これは自転車用の道の整備とセットでやるべきだと思うんですよね。自転車に事故を起こせと言わんばかりの道路をたくさんみかけます。テレビなどで議論をみていても、私が聞いた範囲でそのような提案が無いのが疑問です。官僚&自民党の大好きな工事も出来て一石二鳥・・・・のはずなんですが、電柱地中化などと同じで、落としたい所に落ちなかったり面倒くさい、もしくは大きな視点からの都市の再デザインが必要になるので出来ないのでしょう。
本当にどうしようもない所にばかり税金を湯水のように使っていると思います。

道の整備とセットになると思いますが、車道を走るべきとされているのにみんな歩道を走っている、走らざるを得ない、という法律的な矛盾も早急に解消してもらいたいと思います。

「退職金少しでも多く… 教諭の駆け込み退職続々 埼玉」(http://www.asahi.com/national/update/0122/TKY201301210540.html)というニュースもあって、各社のテレビのニュースでは退職しない職員を讃えていましたけど、制度設計が悪く、退職するのは当たり前で、退職した人に対するネガティヴな印象の裏返しとして残った職員を讃えるのはおかしいと思います。

4月まで臨時職員として雇うという方法があるそうで、それをやれば良いだけのことです。佐賀ではそのようにしていて円満に進んでいるそうです。そうすれば何も起きないのになぜメディアは先生を叩き続けるのか。(最近たまにこういった論調を聞く様になりました)

また、メディアのするべき事は制度設計をした人間を確かめ質問し、責任を問う事です。
制度設計のひずみを人の善意に頼って埋め合わせしようとしているのではないでしょうか。

退職した人だけがクローズアップされますが、ほとんどの先生は下がってもやっているらしく、かわいそうな話だと思います。
先生や警察官だけではなく一般の公務員も早めに退職していて、引継ぎなどに支障が出ているそうなのですが、それは叩かれません。こういうときだけ聖職だと言って特別視するのは、どうなのか。恣意的な報道を感じさせるのです。

そもそも公務員は一般企業が皆誕生日の月で辞めていくのに対して、年度末まで働けるのでその分優遇されているんですよね。教員であるとかはそれでは支障が出るでしょうけど、ここら辺も一般企業並にするのが良いのではないでしょうか。その方が退職時期がばらけて引継ぎなどもスムーズに進むだろうと思います。

それにしても、どうしてもまともにやっている人が損をする制度を作りたいのでは、と思ってしまいますが、ただ制度設計が稚拙なだけで、時代のひとつの流れがここにも表れているのでしょう。

1月21日の朝日新聞6面では「経産省には長年、二つの思想対立があった。ひとつはフレームワーク派(制度派)と呼ばれ、規制緩和や金融政策などを通じて、経済成長を促すことを重視する考え方だ。もうひとつは、特定の産業や企業に介入するターゲティング派(介入派)と呼ばれ、成長が見込めそうな産業を重点支援したり、経営難の企業を救って業界再編を促したりする。」とありますが、発送電分離を筆頭として、仕組みを変更して新しい産業の成長を促そうとする派はありません。

中島誠之助さんがいうには、業界にはターンテーブルがあるそうです。上から下まで、本物のターンテーブルから贋物のターンテーブルまでいくつかあって、ターンテーブルの違う人間は同じ骨董業界の中にいても交わることが無いのだそうです。
今は再びターゲティング派が勢力を盛り返してきているという記事ですが、日本の中枢で低いターンテーブルの中で相争っているようで、どうしようもないですし、日本にはそのような余裕はありません。

1月26日のTBSの夜のラジオには脚本家の山田太一さんが出ていて、プロデューサーが視聴率のことに関してとやかく言う所までは我慢できたのだが、途中でスポンサーがドラマの内容に口出しをし始めたらしく、それで嫌になってやめてしまったとの事。電通のことでしょう。「電通支配はこうして原発報道を歪めてきた(神保哲生)」(http://blogos.com/article/49186/)という記事を前に引用しましたけど、こういう体制が恐らくある。そしてそれは最初からあったものではなく戦後のどこかでできたもので、それはきっと山田太一さんが嫌になった時期とかぶるのではないかと思います。(1982~3年位からのことだそうです。)同じ頃にニュースの内容にも介入し始めたと推測できると思います。ソニーの幹部がいうには70年代にはすでに大企業病が相当進んでいたそうですが、そういう社会の自由な空気の喪失、と既得権による(倫理から逸脱した行為による)硬直化がここに良く表れていると思います。

こういう仕組みはなんとしても断ち切らなければならず、記事中にも海外では違法だとあります。
商業ベースに乗れば何でもいいや、という状況にテレビがなっていて、倫理的に非常に道を踏み外したまましらを切り続けているのではないでしょうか。

週刊現代で勘三郎さんは放射線治療が有効だったのではないか、ということがやっと書かれていましたけど「どこも書かないならウチが書く」という見出しで、なんでどこも書かないのでしょうねぇ。

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