行って参りました。
中近東文化センター改修記念ということで、改修中の博物館から品物が引っ越してくるのだとばかり思っていましたけど、そもそも出光美術館の収集品が文化センターに預けられていたらしく、それが帰ってきた展覧会であるとのこと。
かつて出光美術館を取り仕切っていた三上博士など陶磁の権威が、東洋陶磁が専門にしても他の地域も知らなければいけないと思っていたのではないかと推察。
面白かったんですけど、歴史とリンクさせたような厚みのある解説がやや薄かったかなという印象。
イラクのものは前5000年の「山羊疾走文箱」など山羊が描かれたものが多いのが特徴。
イランの「女性土偶」というのもありましたけど、古代エジプトは女性の地位が高かった事が知られています。イランも恐らく古代はそうだったんじゃないかと思うんですよね。
前に書きましたけど
古代に行けば行くほど東洋でも女性の地位が高くて、社会的な制度で差を付けないと、男は太刀打ちできないもよう。
こういったことから結論を出すと、恐らく男性優位社会は、人類の歴史の中で、本当にここ最近だけである可能性が高いと思います。ずっと女性が優位だったのではないか。突飛に聴こえるかもしれませんが、そうだろうと思います。
そしてそういった良い意味での古代性を近世まで、上手く文化の中に包摂して保持していたのが日本の特徴である、といえます。これは明治を起点とする日本像と間逆であって、ややもすれば古代から明治的な国であったように思われがちですが(そういう歴史の叙述がたくさんあった)、それを改めて本来の日本の長を取らねばなりません。
司馬遼太郎さんの言葉でいえば、創造というのは人の子供の部分が担うのであって、江戸時代はそれが豊かだったということになります。これは良い意味での古代性から来ています。
しかし、今書いていて気が付いたんですけど、子供性、と言ってしまうと、江戸時代に広くあったような、神仏儒習合といった、日本の大人になるシステムへの否定につながるんですよね。
何もなければ自由だ式のありかたからは創造性は生まれません。人の本来の可能性を生かすような文化が江戸時代に日本で爛熟していたのですね。無為自然であるとか、仏教の「一切衆生悉有仏性」というのはそういう意味ですね。白川静さんは老荘を孔子の後継思想に位置づけていますが、そういう視点から言えば、儒教の仁にも同じものが含まれています。それは型ではなく内発的な中に実現されるものです。
ここら辺にも司馬遼太郎さんのレトリックの落とし穴。惜しくも急所を外してあらぬ方向へ行ってしまうものを感じます。
こういう問題のひとつですが、現代でも一部の大学では男性に下駄を履かせて入れている、という事を聞きましたけど、ちょっと裏を取れないですね。本当だったら大問題だと思いますが。
エジプトのものは「木管頭部」など写実的。ギリシャ彫刻にエジプト彫刻の影響がみられる、という説を聞いたことがあるのですが、ギリシャの科学などもエジプトで爛熟したものが移植された物であるという説もあるらしく、ちょっと怪しいので考えなければなりませんが、エジプトの大国ぶりと歴史を思えば自然な説のようにも感じられます。
未見ですが、Nスペの大英博物館のギリシャの回がそのような内容を扱っていたと、ぐぐると書いてありますね。
美術的には地中海のガラスの「紐装飾二連小瓶」が夜光貝でくらげを象った様で前衛的。
「白地多彩文字花文皿」はうねうねとしたクロワッサンのような模様が印象的。
「黄釉白掻落騎牛人物文鉢」はゾロアスター系のお皿であるとのこと。
「ラスター彩人物形瓶」は蓮弁文に龍泉窯の影響が見られるらしく、東西の交流を確認できます。
「青釉黒彩透彫鳥首水注」は外側が透かし彫りされていて、その中に水注の本体があるという凝ったつくり。
「白地藍彩龍文壺」はイラン製ですが、ひっくり返すと角福の印が書かれているのだそう。
「白釉多彩花文皿」は本当に鮮やかな青が基調のお皿。この地方はラピスラズリであるとかコバルトが豊富で、鮮やかな青というのが一大特色のように思います。
「藍釉多彩花卉文把手付瓶」も同じような鮮やかな逸品。
中近東の芸術といえばミニチュアールで「スルタン座図」は綺麗な彩色画。
「天体観測儀(アストロラーペ)」は幾何学的な模様が芸術的。
他地域への影響ということで19世紀末のフランス製(?)の「イスラーム風エナメル彩装飾瓶」は細緻な作りでイスラームの様式を取り入れています。
ちょっと長大な時間軸を駆け足気味で展示全体を貫く有機性が薄かったかなとも思いますが、出光の思わぬ裏芸をみせてくれた展覧会で、中近東に限定されず、陶磁全体への情熱も感じました。ありがとうございました。
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