根津美術館 コレクション展「遠州・不昧の美意識 ―名物の茶道具―」その5

#その他芸術、アート

行って参りました。

数年前に大規模な小堀遠州展があったのですけど、見逃してしまって、今度は行ってみようということで行って来たのですが、茶道の伝来に関する展覧会で、その中に遠州のものがいくらか混じっているかな、という程度。

いくらか予想はしていたのですけど、作庭などに関する展示は無く、少し残念。逆に以前の遠州展にいった人には補完的にみられる展覧会なのでしょう。

ここは茶道文化の本流を扱うという意味で格調の高い美術館で、箱書きなど次第と言われる茶道具の周辺を主に取り扱っていましたが、私はそこまで興味はありませんね。
茶道をやっている人には極めて興味深いようで、集団でずっと立ち止まってみているおばさま方がちらほら。

「雨漏茶碗 銘 蓑虫」は茶碗の分類の通りの雨漏り状のじんわりした染みに味があります。

伊賀焼の「耳付花生 銘 寿老人」は全体的に緑がかっているのが、渋茶のようで確かに老人の味わい。

「珠光青磁茶碗 銘 遅桜 高麗茶碗」はエメラルドをつや消ししたような、品のある輝き。

「細水指 備前」はいわゆる荒々しいへら目が野趣を演出し、備前の地力に破調が加えられています。

「茶碗 銘 小舟 楽山」は砂糖菓子のような白が散らばっていて、どうも名品の中には器自体が食欲をそそるものが結構あるように思います。

「綴目水指 楽山」が程よく歪んでいて漆の蓋も美しいです。

「龍図」はなんかもやっとした絵があるなとと思って通り過ぎようとした所、伝牧谿筆であるとのこと。龍の下半身がぼやけていて全身の様子がつかめないのが特徴ですけど、どうなのでしょう。

やっているのを知らなかった第二の特集の「大雅と良寛の書」が面白く、「親字」は白隠筆の親を大事にすればするほど良い、という内容のもの。今では孝というと儒教ですけど、もちろん仏教も同じ事を強調していて、近世のものをみて行くとむしろ仏教の方がこの点うるさいくらいだと思います。

「飲中八仙歌」(池大雅筆)は李白一斗詩百篇で知られる内容のものですけど、「船中八策」はこれのパロディなのでしょうね。捏造説もありますけど、実は教養を重視した龍馬らしいネーミングだとも思います。

江戸時代の脱力系の、少しふざけた文化というのは、結構な部分漢詩に端を発しているのではないかという気もします。明治以降、神仏儒といった日本の思想界および日本社会が硬直化していったのは、漢詩の素養が全般的に薄くなったこととも関係があるのではないでしょうか。

大石良雄にも酒に酔って戯れに作ったような歌や絵があって、彼の武士道の中にも李白が息づいていたといえるでしょう。

「一行書」など良寛のものは浮雲のような生活を歌うものが多いです。

「天地二大字」は気合が乗っていて緩急がある「大天地」と、晩年の枯淡の味わいを示す「小天地」があり、後者は紙幅にちょろっと書かれていて北斎の「富士越龍図」を思い出させます。

解説によると、仏壇が無いといっている人に、これを拝め、と書いて渡したのがこの書らしく、発想的に円空仏に近いような気がします。

良寛さんは一切経を虫干しするといって人を呼び寄せたら腹を出して日向ぼっこしていた、という逸話が伝えられていますけど、これは自分自身が一切経であるという意味でしょう。横の「詩稿」には「無能一老翁」などという字も見えますが、その実、法に対する自信は絶大だったといえます。こうやって人に拝めといって字を出すというのは、よほどの自信が無いと出来ないことです。

和歌「わがやどは」は万葉仮名で書かれていて、秋萩帳を手本にしていたからだ、と解説にありましたが、そもそも万葉集が好きなようで、それだから秋萩帳を手本にしていたのかもしれません。

禅僧はどうも万葉集を好む傾向があると思います。白川静さんの説によれば、

殷→老荘→禅

殷→古代日本→万葉集

ととりあえず同じ系列で理解できます。

他にも珍品が出されていて、俳句「せせらぎの」は良寛の父の山本以南筆。気性が激しい勤皇の志士だったらしく、字も乱暴なくらいに奔放です。

この人は最期は桂川で入水してしまうのですけど、そういうちょっと情緒不安定で下手すると自殺してしまう様な所は良寛さんにも受け継がれていたんじゃないかと思うんですよね。

この親子を思うと、いつも私はウィトゲンシュタインの家系の事を思い出します。この人の家系も自殺しやすい家系で、本人はそれを避けるために小学校の教師になって病んだ精神を癒したといいますが、良寛さんが子供と遊んでいたことにも似たような意味があったのではないでしょうか。推測ですが。

さらに良寛の弟の山本由之筆の、和歌「よしのやま」という作品もありました。なんでも良寛の実家を継いでいたのですが、村民とのいざこざで敗訴して所払いになっていたのだそうです。

「東アジアや南アジア諸国の人々がとかく、裁判所や法律的訴訟を敬遠するのに対して、西アジアや西洋諸国の人々がなんでも法律や契約にたよるという傾向にある」(「東洋のこころ」(講談社学術文庫) 中村 元 (著)23ページ)とあったり、世の中の多くの人同様、中村元さんも、白川静さんも東洋は西洋に比べて法律や契約で動いていない、という前提で文化の比較を行っていますが、少なくとも江戸時代は少し様相が違う可能性が。「江戸時代は優れて契約社会」(三くだり半と縁切寺 江戸の離婚を読みなおす (講談社現代新書) 高木 侃 (著) 237ページ)だったらしく、法律もかなり行き届いた模様。

日本人の遵法意識が讃えられることがありますけど、江戸時代のこのような状況が大きく影響しているでしょう。

この日ともう一日だけのピンポイント展示で空海の画像と書と金剛杵が出品されていましたが。書はやはり真言密教的な、内的な、怪しいまでの力強さがあったと思います。画像をみて、書をみて、としばし繰り返すと、それでいて星辰の気配を感じさせるような爽やかな深みがあったと思います。

「古代中国の青銅器」のコーナーは相変わらず極めて怪しく、このようなものを生み出す時代であったら、白川静さんが描かれるような社会であっただろう、と自然に納得させられます。

「花見月の茶」のコーナーでは花見酒のおちょこがリストにはない鍋島で、途中で入れ替えたのですかね。この前の鍋島展でも確かなかったような品で、非常に綺麗なものでした。

「鬼桶水指」は非常に荒々しい信楽。「御本半使茶碗 銘 花暦 高麗茶碗」は朝鮮通信使が残した茶碗らしく、ほんのりとしたピンクの模様があり、花見の時期に非常にあったものがあるものだと感心しました。

茶道のコーナーは名物物ばかりで、質が非常に高く、書のコーナーは良寛を中心に良いものがたくさん揃っていて面白かったです。ホームページの作りも丁寧で、PDFから直接作品名を持ってこられるので、感想を書く作業もとても楽でした。ありがとうございました。

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